サイト案内螺旋機構「太陽の迎え子」目次 / 前頁次頁



土の太陽の章、一

 ハイネはその日、母の亡骸を抱いたまま眠りに落ちた。
 母は異形だった。「蛇の巨人」と完全な人型の巨人族の混血だったのだ。ハイネにもその蛇の血は受け継がれており、ハイネの緑の目は瞳孔が細く、縦に長い、蛇目をしていた。
 ハイネと母は、自分の種族を恨んだことはない。ほんの少しばかり異形の血が混ざっていたところで、オルテツァの治めるこの世界では人間と多種族が共存しており、蛇目のハイネや母が虐げられるといったことはなかった。
 蛇の巨人とは、巨人族の中の一種で、人間の形と大蛇の姿、二種類の形態に自在に変化することが出来る。人間の姿をとっているときはハイネのように目に特徴が表れる。異形の巨人達は数こそ少ないものの、獅子の巨人、鷲の巨人、鹿の巨人など様々な種族があった。
 人と異形は、今まで争いを起こすことなく平和に暮らしていた。ハイネの祖父母のように、そうたびたびではないが婚姻も結ばれていた。
 しかし、一年ほど前から、数の上で圧倒的に勝る人型の巨人達は、異形の巨人達を獣と蔑んで殺戮を始めた。異形達は次々に殺され、蛇の巨人も死に絶えた。おそらく、他の種族も同様だろう。ハイネと母は、混血であるがゆえに今までその被害を免れてきたのだ。
 ハイネが、蛇の巨人の血を引く最後の生き残りだった。

『大人しくしてろ、爬虫類! 蛇の化け物が!』
 つい最近まで彼女達に好意的だった集落の人間の突然の変貌に、ハイネと母親は蒼白になり、次の瞬間身を翻して逃げ出した。
『ハイネ、お祖母様のところへ行きなさい、私も後から必ず行くから!』
 母は左の道へ、ハイネは右の道へ。人間の追っ手を撹乱するために、ハイネは母とは別の道を進んだ。
 しかし、ハイネが祖母の家に辿り着いたとき、蛇の一族は既に滅びていたのだ。
 ハイネは母にそのことを知らせるために、来た道を駆け戻った。助けを求められる人はもういない、二人で生き延びようと、それを伝えるために。
 そして今日、夜通し走り続けたハイネは母を発見した。
 無惨に殺された、冷たい母の亡骸を。
 蛇の性質を色濃く出していた母は、生きていた頃も身体の異常に冷たい女性だった。しかし、それとは全く違う……命の通わない凍えた遺体に、ハイネは初めて喉を震わせて絶叫した。
「母さん! 母さん――――!」
 巨人族は、普段声帯を震わせて声を出すということをしない。オルテツァの恵みにより、彼らは精神で会話をすることが出来るのだ。他種族同士であっても、それは同じだった。
『嫌だ……母さんが……』
 ハイネは人を呪った。隣人面をして彼女達に近づき、突然凶器を手にして襲いかかってきた人間達。母だけではなく、たくさんの同族を虐殺した人間達。許せなかった。今まで受け入れていたものを、姿かたちの異様さから排除する動きに、吐き気がするほどの嫌悪感を覚えた。
 ハイネはまだ近くに残っていた人間を母譲りの毒の牙で殺して回り、母の遺体を抱いて森を彷徨った。
 そして、この洞窟で眠りに落ちたのだった。


 母の亡骸をどうしようか。ハイネは翌朝、まだよく動かない頭で考え込んだ。何か、形見になるものを見つけたい。
 父でさえ――母を愛し、異種族との混血の嫁を歓迎しなかった両親を説き伏せて母を娶った父でさえ、人間の味方にまわり、母を裏切ったのだから。
 信じられる人間は誰もいない。母をみとる人も……その死を悼んで泣く人も、自分一人だけだ。
『母さん、死んじゃった……? 痛かった?』
 どうして、急に人間達が異形の迫害を始めたのかは分からない。しかも、父まで母を人間に売り渡したとなると、これは単なる思想の変化ではなさそうだ。大いなる力による集団催眠――しかし、そんなことを出来る存在は神々だけだ。そして、オルテツァをはじめとする神々には、異形の巨人達を滅ぼす理由がない。
 どうして自分達が迫害されなければならない? 確かに純粋な人間の目から見れば鋭い牙や爪など野生の獣そのままの能力は脅威だろうが、今まで異形達はその能力を人間との共存のために使用してきた。
 人間はいつだって勝手だ。自分達に害をなすかもしれないという理由だけで動物を殺し、自分達の利益のためにも殺す。野生の獣は無用な殺戮はしない。常に自分が生きていくために必要な分だけを獲り、相手を弔う心を忘れない。自分以外の生き物にも、敬意を払って生きている。
 しかし人間は違う。獣には生存権を認めない。その心が、今の異形の大量殺戮につながっているのだ。
 異形の巨人は人とは違う。自分達は、人間よりも霊的な、自然に近い生き物なのだとハイネは教わった。異形の一族の中には森にひっそりと隠れ住むようにして暮らしている者が多く、人間のように集落を作る者も少ない。祖母も、祖父と二人で静かな暮らしをしていたはずだ。
『そうだ……お祖父さんは……』
 ハイネは顔を上げ、祖母の家の跡を克明に思い描いた。あそこに、祖父の姿はなかった。祖父が祖母を裏切ることなど考えられない。祖父は――生きているのだろうか?
 唯一残された肉親が祖父だった。母を裏切った父は、もう親とは認めない。
 父を思って再び暗い気持ちに浸ったハイネの耳に、突然、かすかな物音が飛び込んできた。
『誰!? 隠れてないで出てきて。出てこなかったら……殺すよ』
 とうとう言ってしまった、とハイネは津波のような後悔に襲われる。異形の巨人は理性を持っている――だから傷ついた者は迎え入れ、何人も拒んではいけない……母に、そう教わったというのに。しかし、今は誰であろうと許すことが出来ない。人間は許せない。仲間を殺した。なんの理由もなく、騙まし討ちのような方法で。
『早く出てきなさい。私は、本当に……』
『嫌……ごめんなさい……』
 声を尖らせたハイネは、続いて聞こえてきた細い少女の声に気をそがれてだらりと腕を下ろした。人間の、幼い少女だ。
『誰? どうしてこんなところにいるの?』
『……ごめんなさい……』
 謝ってばかりで何も話そうとはしない少女に、ハイネは自ら立ち上がって洞窟の入り口へ出て行った。黒い髪の毛に暗褐色の瞳の、十をいくつか越えたくらいの少女。怯えた目をしてハイネの蛇目を見上げる。ハイネはこの目のせいで子供に好かれたことがない。今回も、自分の目を見たとたんに少女は逃げ出すだろうと予想したのだが、少女はハイネの目を見つめたまま岩の上に座り込んでいた。
『どうしたの?』
 ハイネは声をやわらげて尋ねた。ハイネが異形と分かって腰を抜かしでもしたのなら別だが、それ以外に少女が立ち去らない理由は思い浮かばない。今、人間は異形と触れ合うことを何よりも嫌っているのだ。この少女の親も、彼女がハイネのような蛇の巨人と会ったことを知ったら辺り一帯を虱潰しに探してかかるだろう。そうなったら、ここにはいられない。いっそのこと、自分の身を護るために少女を殺してしまうのも手だ。
――殺してはいけない、常に優しい心で人を迎えて――
 しかし、ハイネの頭に母の言葉が浮かんだ。穏やかに、優しくあれと娘に繰り返した母。どんなに嫌われ、蔑まれても、夫の生家の人間を恨むことはなかった母。残虐さのかけらもなかった母の娘である自分は、今身を護るすべを何も持たない少女の命を奪うことを画策したのだ。
 ハイネは少女をそっと招き入れた。少女がそっと洞窟に足を踏み入れる。湿った空気は少し気持ちが悪いが、涼しくて快適だ。
『お母さんが……人を殺したの。鳥の目をした、優しいお兄さんよ。ついこの間までお隣に住んでいたのに、森に追い詰めて殺したの。とどめをさしたのはお母さんだって聞いたわ。お姉さん……どうして、急にこんなことになってるの?』
『私にも分からないよ! 私だって……お母さんを殺されたんだ……!』
『あのね……お父さん達が言ってたの。土の神様は、人間を滅ぼしてしまうおつもりなんだって。それで……異形の人達の血を捧げれば、オルテツァの怒りを鎮めることが出来るって噂してるの。だから、お母さんもおかしくなったのかもしれない』
 よく周りを見て、冷静な思考をする少女だと思った。父や母の話によく耳を傾けている。
『それを、私に教えに来てくれたの?』
『そう……男の人達が言ってた。女を一人取り逃がしたって。お姉さんのことでしょう?』
『どうして私がここにいるって分かったの?』
『土の上に……血のあとが残ってたの。消しておいたし、だれも気づかなかったと思うけど……』
 ハイネは自分の迂闊さに頭を殴られたような衝撃を受けた。血の痕……そんなものを残してしまっては、飢えた獣のように異形を探す人間に後をつけられることは間違いない。
『そうか……助かった、ありがとう。名前は何ていうの?』
『シス。シスよ。お姉さんは?』
『ハイネ。……シス、お願いがあるんだけど……』
『なあに?』
『食べ物を、持ってきて欲しい。……私は、外に出ることが出来ないんだ。この、蛇目があるから』
 シスはハイネの緑の目を見つめ、悲しげな表情で深くうなずいた。
『そんなに綺麗なのに……それがあると、ハイネさんは殺されちゃうのね』
 シスは丈の長い服の裾を軽く払って立ち上がると、少し待ってて、と言って洞窟を出て行った。
 今、軽々しく人間を信用するのは致命的なことだと分かってはいた。シスは両親に蛇の巨人の生き残りの存在を報せに行くかもしれない。が、ハイネは彼女の蛇目を褒めてくれたシスを疑うことなど出来なかった。


 シスはいつものように、ハイネのところへ食べ物を運ぶ途中だった。集落を出たことのないシスにとって、ハイネの話してくれる外の世界の話は限りなく魅力的で、彼女は毎日ハイネの洞窟に通った。
 父や母に気づかれないように家を出るのは難しいことではなかった。両親は毎日のように異形の残党狩りに出かけていて、家には昼間シスだけだ。唯一変わったのは友だちづきあいだけで、シスはハイネのことを友人達にも打ち明けられないことだと承知していたし、シスのように異形を憐れむ人間は少ないということも分かっていた。
 それでも、シスはハイネを見捨てはしなかった。彼女はハイネの母の埋葬を手伝ったのだ。蛇の血を持つその女性の肌は白く滑らかで、まるで生きているようだった。どうして大人はこんなに輝くような姿をした人々を殺してしまうのだろう。輝くようなと言える容貌を持っているのは、ハイネも同じだ。麦の色の髪の毛はさらさらと流れ、緑の目は新緑の色だ。異形は皆こんなに美しいのだろうか、とシスは自分の暗い色の髪と目を見てうんざりと溜息をついた。
 ハイネと触れ合うようになって、シスはなぜ異形が美しいのかを理解するようになってきた。彼らは、野生の獣と同じ美しさを持っているのだ。
 異形は、自然の中で生まれ、育ち、一生を終える。そんな環境の中ではぐくんだ生命力が、彼らを輝かせる。異形の巨人達は、神に依存することをしない。人間のようにむやみやたらと祈る時間だけを長く取るのではなく、本当に必要なときに心からの感謝をこめて祈る。彼らに祭壇はいらない。自然の木々一本一本が祈りの場であり、神との対話の場なのだ。
『ハイネさん……いないの?』
 ハイネはよく森の奥へと姿を消す。そして、ただひたすら木の幹にもたれて放心したように空を眺めているのだ。それが彼女なりの同族への弔いであり、心を癒すためにも必要らしい。
『ハイネさん……』
『シス!』
 聞き慣れた幼い、高い声にシスはぎくりと後ろを振り向いた。
 集落の長の娘――――ファイだ。
『ファイ……』
『シスはいつも、ここで何をしているの? こんなところに人はいないはずだわ』
 ファイは整った顔に笑みを浮かべてゆっくりとシスに近づいた。ファイに憧れている少年はたくさんいる。シスも、前は素直にファイはかわいらしいと思っていた。しかし、今見るといかにもわがままそうな表情に思わず顔をしかめてしまう。
『私、知ってるわ。シスは化け物をかくまってるのよね。そんなことが許されると思ってるの? お父さんに知られたら、あんたも裏切り者よ。ここを追い出されるわ。殺されてしまうかもしれない。なんで化け物なんかを庇ってるの? あんた、馬鹿だわ。自分まで殺されるかもしれないのに』
『化け物なんて言わないで! どうして異形を殺すの? ハイネさんは化け物なんかじゃないわ、ファイの方が、よっぽど人とは思えないことを考えるのね。ハイネさんもハイネさんの仲間も、何もしてないじゃない。なのにファイは何とも思わないんでしょう?』
 シスがファイを睨んで叫ぶと、ファイは悠然と腕を組んで言った。
『化け物は化け物よ。人と獣が混ざっただけの出来損ないだわ。だからオルテツァ神も異形を根絶やしにしようとしているのよ』
『神は異形を殺せだなんて言ってない! 自分達の滅びを避けるために、人間が異形を犠牲にしてるだけでしょう?』
『シス……。そんなこと言って何になるの? どうせ、皆あんたが化け物に洗脳されたって思うだけよ。化け物を庇えば、それだけあんたが不利になるのよ。どうして分からないの?』
 ファイの嘲笑に、シスは声を荒げて言った。
『ハイネさんは化け物じゃない! 黙れ、ファイ!』
 シスの言葉に、ファイがゆっくりと微笑む。人間に特有の残虐さを秘めたその笑みに、シスは心底嫌悪を感じた。嫌な予感がする。
『そうまで言うなら、化け物と一緒に死ねばいいわ。お父さんに知らせてくる。逃げたって無駄よ、皆あんた達を追うわ』
 シスは手に持っていた食べ物の籠でファイの頭を殴りつけ、目に砂をかけて駆け出した。これで少しは男達の到着を遅らせることが出来るはずだ。シスにファイを止めるだけの力はない。わずかの時間でも稼いで、ハイネに危険を知らせることしか出来ないのだ。
『ハイネさん! ハイネさん、どこ? ハイネさん!』
 頭が割れるほどの精神波を発してシスはハイネを呼んだ。
『ハイネさん!』
『シス……? ここだ、いつもの木の下。どうしたんだ?』
『ハイネさん、逃げなきゃ! ファイに見つかっちゃった、人が来るよ! ……本当にごめんなさい、私がもっと用心しなかったから……』
『シス、大丈夫。もともとそんなに長く隠れていられるとは思ってなかった。シスはどうなるの? 大人に、許してもらえる?』
『ファイは……私も殺されるかもしれないって。化け物を庇うなって言われた。ハイネさんは、化け物なんかじゃないのに……!』
 悔しくて、ファイが憎らしくて、シスは泣きながら走っていた。ハイネのいる木の下までもう少しだ。
『ハイネさん!』
 シスはハイネに飛びつき、泣きじゃくりながら喚き続けた。謝罪の言葉が溢れて止まらない。
『シス、森の奥に逃げる。……一緒に、来る?』
 シスは激しく首を縦に振った。ハイネがそっと微笑んだのが分かる。
『じゃあ、行こうか。シス、走れる?』
 シスは荒い息の下でうなずいた。ハイネの負担にだけは、絶対になりたくない。なってはいけないのだ。
 シスはハイネに続いてよろよろと走り始めたが、ほどなく息が切れてきた。ハイネがその年頃の少女にしては小柄なシスの身体を抱えて走り出す。
『ハイネさん、私一人で大丈夫……』
『駄目だよ、私が距離を稼ぐ間にシスは休んで。森の奥に行ったら、食事の調達にも体力を使うんだから』
 シスは今さらながら食べ物の籠を置いてきたことを後悔した。あれがあれば、何日かは二人で食いつなぐことが出来ただろう。
『ごめんなさい、本当にごめんなさい。私……』
『シスのせいじゃないよ、シスには本当に感謝してる。運が悪かったんだ。ずっと隠しておくことは出来ないだろうし……』
 ハイネが慰めてくるが、シスの自己嫌悪はいつまでも続いていた。


『じいさん、着いたぜ。今日はここで休んでいこう』
 ディスタは背中に背負った老人に向かってゆっくりと語りかけた。老人は弱い精神波で返答した。
『ここはどこじゃ?』
『さあな。俺もここには来たことがない。まあ、そこそこ大きな集落だからな、宿屋の一つや二つあるだろうよ』
『なにやら騒がしいようだが……』
『そうだな。でも、そんなこと言われたって俺は知らねえよ』
 衰弱した老人の様子に、ディスタは小高い丘の上から集落を見下ろした。旅の途中で老人に出会ってひと月――孫娘を探したいという老人の頼みを聞き入れ、孫の住まいだという集落を廻り、抜け殻のようになった家に絶望した老人を連れて旅をすること半月。しかし、孫娘の行方は杳として知れなかった。
 くすんだ金髪に緑石の瞳。背はあまり高くなく、年頃は十七、八。
 しかし、たったこれだけの手掛かりで一人の娘を探し出そうというのが無理なのだ。
『じいさん、その女の子の名前は?』
『ハイネじゃ。その母親ももしかしたら一緒にいるかもしれん。母親の方――わしの娘はマスリー。……若者よ、探し出せるかのう?』
『分からねえな。運がよければってところか』
 ディスタはとことんお人よしの自分に溜息をついて答えた。こんな今にも死にそうな、自分で歩くことも出来ない老人など無視して通り過ぎてしまえばよかったのだ。なぜ、親切に孫娘や娘を探してやっているのだろう?
『まあ、とにかく行くか。じいさんも、柔らかい寝台で寝たいだろ』
『ああ、腰にきておる』
『年だな』
 ディスタは丘を下り集落に入った。側を通りかかった女性に、宿の有無を尋ねる。
『宿? それなら一本向こうの道よ。あんた、旅の人?』
 見れば分かるだろう、と思いつつディスタはうなずいた。
『旅の途中で、異形の娘を見なかった? 近くの森に逃げ込んだらしいのよ。しかもね、この集落の女の子を一人誑かして』
『異形?』
 ディスタは老人と顔を見合わせた。出会った当初の老人の言葉を思い出す。
――おまえさんを男と見込んで話そう、わしの娘は異形の混血だ。わしが蛇の巨人の嫁を娶った。女房はもう殺されたが、せめて娘達に会いたい。……わしの娘達を探すのを手伝ってくれんか? ……おまえさんが、異形など死に絶えてしまえと思っているのならそれでもいい。わしを殺したとしても恨みはしない。だが、そうでないのならわしを助けてくれ――
 ディスタは、人間か異形か、という問題には興味はなかった。異形は獣の形態もとるというが、彼はそんなところを見たことはないので異形も人間も変わりはしない。
 老人に協力しようと思ったのは、異形を見てみたいという好奇心からだった。
『いいや、見てねえな。ありがとう』
 ディスタは宿屋を見つけ、老人をそこに残すと森へ分け入った。
 集落の民よりも先に、その異形の娘ハイネを見つけなければならない。


 ハイネとシスは森の奥に少しばかり開けた土地を見つけ、そこの中央の木の下で休息をとった。側には泉があり、赤い果物もなっている。
『どれくらい、奥に来たかな?』
『まあ、そう簡単には見つからないだろうとは思うけど。とりあえず、もう休もうか。シス、疲れてるでしょう。寝てもいいよ』
『ハイネさんは?』
『私は見張り。あとでシスが起きたら眠るよ』
 シスは不安そうにハイネを見上げると、ハイネの身体に身を寄せて丸くなった。暗褐色の瞳はただ疲れによって潤み、そっと閉じられる。
 シスを巻き込んでしまったのは自分だ。罪悪感に胸が焼ける。
 父と母と、幸せに暮らしていたはずの少女だったのに。同じ集落の人間から追われる身となってしまった。すべて、ハイネをかくまったがゆえのことだ。食べ物が必要ならば、森へ行って小動物を獲るなりなんなりすればよかったのだ。シスを、巻き込んではいけなかった。
『ごめん、シス……』
 ハイネがそっと立ち上がり、水を飲みに行こうとしたそのときだった。
『ハイネ! ハイネ、いないのか!?』
『誰……私を知ってる?』
 低く押さえられた、若い男性の声。聞いたことのない声だ。なぜハイネの名前を知っているのか分からない。ハイネはシスを背後に隠し、木の幹を背にして立つと用心深く周りを見回した。どこかの鍛冶場から頂いた長剣を構え、毒牙もいつでも使えるようにした。
『ハイネ!』
 声はますます近づいてくる。
 青年が姿を現したとき――ハイネは凶暴な光を緑の目に宿した。
――人間だ――
『誰だ……』
『おまえがハイネか?』
『だったらどうした? 人に尋ねるときは、自分から名乗るものだ』
『……ふうん……まあ、いいけどな。俺はディスタだ。おまえは、ハイネだな?』
 ハイネは青年を睨み据えたままうなずいた。シスが眠たそうに目を開ける。
『おまえ、どうしてくれるんだ。シスが起きたじゃないか。シスは何の関係もない、集落に連れ帰ってやれ』
 どうせ、他にも人が近づいているのだろうとハイネは吐き捨てた。ディスタと名乗った青年が不思議そうに首を傾げる。
 その様子は、無邪気ですらあった。
『ちょっと待てよ、俺はあの集落の人間じゃないぜ?』
『だったら褒賞金が目当てか』
『なんだ、それ? そんなものは出てないぞ』
 嘘とも決めつけられないディスタの言葉に、ハイネはやや警戒を緩める。しかし、人間を警戒しなければならないことにかわりはない。
『だったら何の用だ?』
『旅の途中でおかしなじいさんを拾ったんだ。ハイネっていう孫と、マスリーとかいう娘を探してた。俺は異形を一回見てみたかったから、じいさんに協力することにしたんだ』
『お祖父さんか?』
 しかし、それだけでは目の前の青年を完全に信用することは出来ない。第一、今時「異形をいっぺん見てみたい」などという理由で行動する人間などいない。人間達にとって、異形は自分達が生き残るための生贄なのだ。
『おまえがお祖父さんの知り合いだという保証がどこにある?』
『そんなこと言われてもなあ……』
 ディアスは心底困りきった表情で腕を組んだ。あまり流れの旅人という感じはしない。どちらかと言えば弱そうな、子犬のような男だ。柔らかそうな茶髪に、緑の……ハイネと同じ色の目。額には緑の細長い布を巻いている。どうやら緑が好きらしく、剣の鞘は緑の布で覆ってあった。黒い胴着に皮の鎧をつけ、黒いブーツを履いている。旅人らしい軽装だ。荷物はないが、もしディスタの言っていることが本当だとしたら祖父に預けてある可能性がある。
『ハイネさん』
 唐突に、シスがハイネの上着を引いた。白い上着は埃にまみれて薄黒くなっている。しかし、替えがないのだから洗うことも出来ない。
『ハイネさん、ついて行ってみよう。お祖父さんに会わなくちゃ』
『シス……でもね』
『この人は、悪い人じゃないと思うの。ハイネさんも分かってるんでしょう? 目で分かるよね。ハイネさんと同じ色だわ』
『それは関係ないと思うよ』
『でも……いい人よ。ねえ、ディスタさん』
 幼い少女に微笑まれ、ディスタは曖昧にうなずいた。ハイネが不承不承といった感じでシスの手を引き、歩き出した。ディスタはシスに感謝するように満面の笑みを浮かべ、森の出口へと二人を先導する。
『ハイネさん、お祖父さんに会えてよかったね』
 我がことのように喜ぶシスを見下ろし、ハイネは微笑んだ。たとえこれが罠でも大抵のことなら切り抜ける自信がある。とりあえず、わずかな可能性に賭けてみるのもいいだろう。
 だが、そのハイネ達異形の戦闘能力が、人間にとっては脅威なのだと考えると少し気が重かった。



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