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【07】 - Red and Black -


 理帆が広げたパンフレットを、計みっつの頭が覗き込んだ。ひとつは長い茶髪の頭、もうひとつがふわふわとした黒い頭、そして短く刈り込まれた理帆と同じような焦げ茶の頭だ。
「ひーちゃん、どこから行こっか」
「うん、どうしようね。何か乗りたいものある?」
「さゆは別に。でもまず、何かくるくるしてるのがいいかなー」
「……くるくるしてるの、ねー……ええとじゃあ、右に行って回って、真ん中突っ切ってからプールまで行ってご飯にする?」
 園内図を指で辿って言った聖は、時計にちらりと目を走らせてうなずいた。
「八時……五十二分ね。いいんじゃないの、それで」
 理帆が同じように時間を確認する。
「桜井と大滝も、今聖が言ったのでいい?」
「別に、回る順番はどうだっていい」
 達矢の言葉に、小百合はそれじゃあ、と言ってにっこりと笑った。両親に連れられて遊びに来た子供とあまりかわらない笑顔である。
「じゃあ、最初はあれね」
 笑顔のまま指さしたのは、大きく翼を広げた鳥の形をした機体が、かなり高さのある支柱の周りに円状に配置されているものだった。今しも動き出そうとしているアトラクション。人の列はそう長くはない。
 それにしても、と達矢は思う。小百合の態度はほとんどが無意識の産物なのだとわかってはいるが、人を動かす力が備わった言葉と表情だ。無邪気に微笑まれると、その願いを聞かなければいけないような気になる。拒絶してしまうと、子供に向かって無情に背を向けたときのような罪悪感が心を蝕むのだ。
 好きなものは好き、したいことはしたい、と彼女がはっきり言うからこそ、その率直さが染みてくる。何の遠慮もない言葉のように見えて、正直だからこそすんなりと受け入れることができる。
 いくつになっても、裸の王様にはためらわず裸だ、というタイプだ。しかもそれが、万人に知らしめようと思っての言葉ではなくぽつりと呟いただけなのにも関わらず、声が予想外に大きくて人々のあいだに波紋を投げかけるもので。
 見ていて、飽きることがない。周りの人間を慌てさせたり、気をもませたりすることはあるが、それが決して負担にならない。おもしろいと素直に思って見守っていられる。聖と理帆が小百合に構うのも同じ理由だろうし、自分が小百合を突き放せないのもだからなのだ。
 けれど彼女が、そんな純真な子供の部分ばかりでできているわけではないこともまた、一目瞭然だった。では大人の部分を詳細に分析してみろと言われても困るのだが、どこかアンバランスでそこが魅力的だ。
 彼女は大人のような子供なのか、子供のような大人なのか。
 それに達矢は、判断を下せないでいる。
「次か……その次かなあ」
「理帆姉、俺はどの人と乗ればいいわけ」
 のんびりと呟いた小百合のあとに、理帆の弟だという空晴が姉に問い掛けた。この間まで小学生だったにしては背の高い、愛嬌のある顔つきをした少年だ。確か、創一の後輩だと言っていたか。確かに、彼にとってはふたり乗りの機体に誰と乗るかが気になるところだろう。
(こいつはできれば吉野――とすると創一を河東とくっつけてやって、俺は宇野か)
 ふわんとしたフレアースカートの小百合を眺める。
 外見と口調と性格がこれほど一致する人間も珍しいだろう。決して悪印象を持っているわけではないのだが、少し苦手なタイプだ。……いや、扱いにくいから苦手なのか。小百合をはじめとして、聖も理帆も一筋縄ではいかない部分を持っている。
 もちろんこうして始終一緒にいるのならば小百合たちのような飲み込みが早くてこちらをイライラさせない人間のほうがいいのだが、どうも気が抜けないのだ。
 達矢が気を抜いて接することができる友人など創一くらいのものだったが、この三人――うかうかしていると小百合にはペースを崩され、聖にはからかわれ、理帆にも淡々とおちょくられ……というあまり嬉しくない事態を引き起こす。
 まあ……明確な意図を持ってしているのではないだけ、一番ましなのは小百合だろうか。
 達矢は列の最後尾に並び、弟の疑問になにやら考えこんでいる理帆をじっと見据えた。
「あたしはハルと乗るけど、あんたたちはどうするの?」
 理帆は四人を見回して首をかしげる。
「あたしは、別に誰でも……さゆは?」
「誰がいいってわけじゃないけど」
 ふたりの言葉に、達矢は創一と顔を合わせた。その途端ひらめいたもうひとつの選択肢に、なんとも珍妙な表情を作る。
(別に今回はそういう企画じゃないからいいんだけど……でもいまいち不自然じゃないか?)
――聖と小百合、達矢と創一にわかれて乗るというのは。
 もちろん彼らの中にカップルはまったくいないわけで、ならば誰と乗ろうと構わないはずなのだが、客観的に見るとかなりおかしい。というか、少数派すぎるのだ。
 周りは家族連れ、そうでなければカップルばかりで、達矢が今考えたように男女まじえて遊びに来ていながらわざわざ同性で固まっている者はどこにもいない。
「……どうするんだ」
 けれども彼は相手などどうでもよかったので、いちばん強い(と思われる)聖に話を振ってみた。
「どうしよっか。……大滝、さゆと乗る?」
「どうでもいい」
「じゃあそうすれば。いこ、桜井」
 聖は創一の手をとって、揉めている間に動き出した列に続いた。ただし手をつないでいるなどというかわいらしいものではなく、聖が創一の手首に細い指を回してぐいぐいと引っ張っていっている。
 聖は誰にでも馴れ馴れしいというわけではなく、特に男子生徒に対してはその美貌をいっそう冴え渡らせるように冷淡な態度ばかりとっているから、達矢には彼女が創一のことを気に入っているように見えるのだが……気のせいだろうか。
 おそらく相手が達矢だったら、聖もこう気軽に触れてはこないだろうと、そう思う。
 パスポートを引っ張り出して、白く塗られた機体へ向かう。ややもたついた小百合が、小走りでこちらへ駆けてきた。
「宇野、前と後ろどっちがいい」
「大滝君はどっちがいいの? 前乗ってもいい?」
 こんなもの前でも後ろでも変わらない。達矢は後部座席に乗り込み、シートベルトを装着した。
 聖とは違ってこちらは髪の毛をあげていない。ベルが鳴って機体が動き出し、少しずつ高度を増していくと、黒い髪の毛がわずかに揺れた。
 客観的に――あくまでも客観的に見て、小百合は決して人気がないわけではない。本人が気づいていないだけで、アプローチもそれなりにあるはずだ。それを牽制しているのは聖と理帆――主に聖のほうだろう。
「なあ――宇野」
 こんな機会は二度とないとばかりに、達矢は小百合に問い掛けた。
「どうして河東は、創一のほうを選んだんだ?」
「え……?」
 小百合は達矢のほうを振り向いて首をかしげた。
 しかしすぐに得心がいったようすで、
「ああ、それはひーちゃんの好みだよ。大滝君も、桜井君と同じくらいかっこいいよ」
 まったく見当違いのことを口にした。
 彼は聖に選ばれなかったことが悔しいのでも、それによって創一に対して敗北感を持っているわけでもなく、聖と創一が互いに持っている感情に興味があるだけである。
 だからまあ、聖の好み、という言葉がかろうじて重要ではあるのだが。
 それにしてもこの少女は、なぜそういうことを素面で口に出せるのだろうか。
「ありがとうな。……河東の好み、っていうのは?」
「ええと……なんだろう。あえていうなら、ひーちゃんのお父さんみたいな人かなあ」
「父親が?」
 奴はああ見えてファザコンなのかと首をひねる達矢に、小百合は言った。
「ひーちゃんのお父さんすっごーく格好いいからねー。お母さんもキレイだけど」
(あいつみたいなのが生まれるわけだな)
 内心思って、うなずく。
「それでその父親に、創一は似てるのか?」
「ううん、あんまり。でも大滝君はもっと似てないかな。それに……外見じゃないよ。外見だけなら、ひーちゃんのお父さんくらいかっこいい人ってめったにいないもん」
「確かに、そうだろうな」
「外見じゃなくてね、雰囲気が……ひーちゃんを大事にしてるって感じ」
「なんだ、宇野も気づいてたのか」
「……気づいてたって、何に?」
 なにげない言葉に、小百合は疑問を返した。創一の聖に対する態度が尋常でないことに気づいていながら、なぜそこまで思い至らないのだろう。
(雰囲気を読み取るのには長けてるけど、その先のことには疎いんだな……)
 ちょっと顔をしかめて、達矢は目をそらした。小百合は顔いっぱいに疑問符を浮かべたまま前に向き直り、眼下に広がるおとぎの国に目をやった。
 機械が唸る音と耳もとを吹き抜ける風のほかに音のない空間。
 地面に降りれば軽快な音楽が途切れることなく響いているが、今は、静かだ。
「不思議だよね」
 前を向いたまま、小百合がぽつりと呟いた。
「賑やかな場所のはずなのにね」
「……そうだな」
 機体の回転は下降とともに遅くなっていく。ゆっくりと巡る景色を眺めて、もう一度小百合が囁いた。
「空と地面じゃ、まるで別世界だね」


 水上お化け屋敷とやらのゴンドラはふたり乗りで、それに聖はさっさと創一を連れて乗り込んだ。
 今日は朝から、やたらと創一と行動をともにしているような気がする。
 けれども彼女は彼女で、胸の内にいろいろ考えを抱えていたりするのだ。
(空晴君とさゆを一緒にしてあげたほうがいいよねー。四人になれば自分でうまくやるだろうし……でもさゆはなあ)
 母や父の華々しい異性遍歴(もちろん今では収まっている)どころかその友人たちの体験談まで幼い頃から耳にしてきた聖は、もちろん空晴が小百合を見ていることに気がついていた。おそらく、一目惚れなのだろう。聖と小百合が初めて空晴に会ったのは彼女たちが中一の五月、まだ入学してひと月しか経っていないゴールデンウィークのときだった。
 理帆の家に招待されたふたりは、当時水郷の生徒だった明陸と、まだ小学生だった空晴と顔をあわせたのだ。
 自分の顔が注目されるのには慣れていたが、何より面白かったのは小百合の顔を見つめてぽかんとしている空晴だった。
 小百合はもちろん兄姉たちも気づいていないようだったが、聖の目はごまかされない。
 年下の少年の想いは案外に一途で、聖は空晴が水郷を受験した理由の半分は兄と姉の影響、残り半分は小百合の存在にあると踏んでいた。
 しかし――――小百合は。
 小百合は……はっきり言ってしまえば、空晴のことなんてどうとも思っていないのだ。傍から見ていて年下の少年が気の毒なくらい、空晴の気持ちに気づいていない。最近では同じ学校に通っていることもありかなり積極的になっていると思うのだが、相変わらず何も知らないようだ。
(こればっかりは人が口突っ込むことじゃないし)
 でもたぶん報われないんだろうなと、空晴にとっては酷なことをさらりと考え、聖はそこで別の方向へ考えを向けた。
(理帆はどうなんだろうなー……)
 長身の友人は、最近様子がおかしかった。
 正確に言うと、中三になってからだろうか。ぼんやり考えごとをしている時間が増え、ときどき溜息なんかついている。
 もしも他人に聖の考えを打ち明けたならば、一笑に付されるかあるいは絶句されることだろうが、理帆のあれはおそらく『恋煩い』で。
 聖が知っている限りの中学生では彼女ひとりしかいない百七十超の長身と、短いけれど触ると案外柔らかい茶色の髪の毛、そして後輩に絶大な人気を誇るお姉さん気質のせいで誤解されているようだが、理帆だって基本的にはそこらの女子とあまり変わらない。相手はわからないが、聖の読みに間違いはないだろう。
 相手が気になるところだが、学校ではほとんどの時間をともに行動しているとはいえ、一歩学校を出れば互いの家へは片道一時間半。彼女の地元での行動など把握しているはずがない。
 兄弟のいない聖でさえ、学校外の友人知人は小学校のときの知り合いだけでなく、父母の友人からその子供まで多岐にわたっているのだ。理帆ならば、兄の友人とか弟の知人とか、実にさまざまな場合が想像できる。弟が関係していなくても小学校のときの後輩にも今と同じように慕われているだろうし、地元でもときどき市の運動場などでバスケをしていると聞いた。
 だから相手が読めないことに不満はない。というか、読めたら怖い。
 聖が面白くないのは、理帆がそれをひとりで抱え込んでいるということだ。
 もちろん理帆がこんなデリケートな問題を軽々しく相談するような性格をしていないのは承知しているわけで、そんな不満を持つのはおかしいのだが、でもやはり話す気がないのなら完璧に隠しとおしてもらいたい。そうしないと、こちらが消化不良だ。
「もうなんなのよ……っと」
 真横であがった水飛沫に驚き、聖は思わず隣に座っていた創一の肩に手をかけた。考えごとをしていたせいでさっぱり周りの景色が目に入っていなかったが、物の輪郭がぼんやり浮かび上がるくらいの明るさに保たれた照明に照らされている内部は随分とおどろおどろしい雰囲気を出していた。
 ひとつひとつの虚像《オブジェ》が精巧に作られており、それがすぐ近くまで迫ってくる。ゴンドラに乗っているだけに満足に避けられず、お化け屋敷の類は得意な聖も思わずたじろいだ。
「なかなかよくできてるよな」
「そうだね……うわぁ」
 またもや声をあげ、聖は手に力をこめた。
「……河東、こういうの苦手なのか?」
「そういうわけじゃないけどー……だってこれ、すごくリアルだしなんか近いし」
 顔をしかめて呟くと、創一もうなずいた。
「触っちゃだめだよな」
「あたりまえでしょ、何言ってんの」
 聖は伸ばされかけた創一の手をぺしとはたいた。触ってはいけないのももちろんだが、個人的に触りたくないし触って欲しくもない。
 どこからともなく響く笑い声や悲鳴は、客が出しているものだろうにお化け屋敷のオプションかと思ってしまう。もうそろそろ終わりのはずだ、と思った聖の目に、眩いくらいの光が突き立った。
「結構長かった気がする」
「いや……四五分ってとこだろ」
 創一が時計を見て首を振った。考えごとをしていたわりにはお化け屋敷そのものも堪能できたような気がするのだが、まあ頭の中で考えていることというのはどんなに長く思えても案外短いものなのかもしれない。
 ひんやりとした暗がりから再び熱気に溢れた地面に足をおろした聖に、後ろに続く理帆が問い掛けた。
「聖、次は何にする?」
「ええとね……ねえ、もうそろそろプールに行かない?」
 近くなってきた昼時を指して聖が言った言葉に、一同から異議は聞こえなかった。このためにわざわざ荷物が増えるのを我慢したといって過言ではないプールは、かなり大きなものらしい。誰も行ったことがなかったが、周りを見渡せば同じくプールへ向かうのであろう人々が更衣室を目指している。
「そうだね、じゃあプールサイドまで行ってお昼にしようか」
 理帆は小百合の隣に立っていた空晴を創一に押し付けて言った。
「男子更衣室はあそこで左折でしょ、着替えが終わったら、男子更衣室のプール側出口のところで待ってて。なるべく早く行くから。なんならハルに場所取りさせてもいいからさ」
 空晴が奇妙な表情をしたのをあえて無視し、聖は自分の荷物を抱え直して言った。
「理帆、行こう」
 すたすたと歩き出した聖を追って、小百合が小走りについてくる。
 太陽光を照り返すアスファルトの上を歩いて、空晴たちとは反対の方向へ折れる。さほど遠くない更衣室の入り口付近で、早くも水着に着替えた子供たちが走り回っている。子供などは外のロッカー前で着替えさせてしまっても構わないため、母親だけが中に入っているのだろう。
 三人はカーテンで仕切られたスペースがずらりと立ち並ぶ更衣室に足を踏み入れた。こもった空気には汗と化粧品のにおいが濃厚に染み付いている。
 真っ先に顔をしかめたのは聖だった。
「やっばい……頭ぐるぐるする。あ、あそこ空いてるんじゃない? 先に着替えちゃっていい?」
「いいよ、早く着替えてハルたちのとこ行ってなよ」
 聖は手を顔の前でぱたぱたと振りながらカーテンを閉めた。わずかな衣擦れの音は驚くほど短時間で終わり、日焼け止めを右手に持って他の荷物すべてを鞄に詰めた聖が出てくる。
 あいかわらずのその着替えの早さに、理帆が苦笑した。
「早いね、聖。さゆ、あたし最後でいいから着替えたら」
「あ、いいの? りっちゃんありがと」
 理帆は、日焼け止めを腕に塗りながらプール側出口へ向かう聖の、ワインレッドと白の水着の後ろ姿を眺める。
 水着の型はごく普通の中学生と変わりないものなのに、彼女はまるで大人に見えた。


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