ウェーズロウス・ファンタジア


 


076:聖域 ―――――
 ウェーズロウスでもっとも高い建物、中央広場の時計塔は、彼だけの聖域だ。
 寸分の狂いもなく毎日の時間を告げるこの時計は、ウェーズロウスの繁栄の象徴である。太陽がもっとも高い位置に昇る時間を十二の刻として、一日を二十四にわけた時間の法を、これほどまでに精確に知っているのは彼とこの時計だけ。この広い大陸に、たったそれだけしかいないのだ。
 時計は、彼に古より伝わる英知の言葉をささやいてくれる。彼の何代も前の祖先が発明したこの機構
を、彼は世界でもっともすばらしい発明品だと思っていた。
 彼は毎朝、七の刻に時計塔の上へあがっていく。彼のほかにはウェーズロウスを統べる王しか持つ者のいない金の鍵を開けて螺旋階段を上っていくのだ。そして時計塔の中を見回り、簡単な整備をしてから、時計が八の刻をささやくのを聞いて大きな鐘を打ち鳴らす。
 その鐘の音とともに、ウェーズロウスの人々は動き出す。多くの商家はその時刻から店を開き、城の城門もその時刻に開く。国王ですら、鐘を聞いて時刻を知り、一日の職務を始めるのだ。
 ウェーズロウスの人々の一日を、ことごとく支配している実感。彼は毎日をその快感に浸りながら生きている。

 さて、彼はその夏の日も、それまでの彼の日常とぴったり同じ時刻に時計塔に入った。生まれたときから大いなる時計の代理人となるべくさだめられていた彼の体内時計は、ウェーズロウスの誰よりも正確だからだ。
 長い階段を昇り、彼は自分の仕事場を目指す。ウェーズロウスで一番高いところにある部屋からは、美しい都市の全貌が見渡せる。ウェーズロウスの王は、自分の城よりも高い建造物が存在することに対していかなる感情も抱いていない――だからこそ、時計塔は建っている――というが、気分が良いことに変わりはない。
 彼はなじんだ扉を開け、大きな窓を開け放つと冷たい風の吹きぬける部屋へ入った。空中に浮かんだような見晴らしの部屋。
――そこに、誰かがいた。
 彼は緊張に身を硬くした。王城からの使者だろうか。時計塔の入り口の鍵は、二つしかないのだ。
「やあ――ウェーズロウスの、時の番人だね」
「……時の……?」
 彼は侵入者を睨んだ。さらりとした黒い髪の毛に、深い緑色の瞳を持っている若い男。おそらく、彼と同じくらいの年ごろの。
――彼に、よく似ていた。
「君がわからないのも無理はない。すべての歴史を抱え込むのは、『闇夜』の役目だ。ここは『真昼』の時計塔。そして君はその番人。知らなくても、それを恥じることはないさ」
「あなたは、何を言っているんですか?」
 歌うような調子で呟く青年に、彼は問い掛ける。
「時計塔の話をしているんだよ。ウェーズロウスの時計塔、これを『真昼』という。大陸の中心地であるウェーズロウスにふさわしい名前だね。そして僕が今まであずかっていた時計塔が『闇夜』――ファラディの隠れた時計だ」
「ファラディの時計? それは、どういう……向こうにも、技術者の後継がいたっていうのか……」
 そもそもウェーズロウスのこの時計は、彼の先祖にあたる技術者が、なんとしてでもファラディよりも先に正確な時刻を告げる時計を完成させよという命をウェーズロウス王から受けて作ったものだった。今でこそウェーズロウスは王家が倒れて混乱しているファラディの民や亡命者を受け入れるまでになっていたが、当時はそのような技術的な面でも競り合っていたのだ。
 結果的に、ウェーズロウスの時計はファラディの時計よりもかなり早い時期に完成した。というよりは、ファラディの時計は完成しなかったはずなのだ。時のファラディの王は、ウェーズロウスに負けた責任を技術者にとらせたと彼は聞いていた。
「まあ、そういうことだね。『闇夜』はここの時計よりはるかに規模が小さくて、精度も劣る。小さくて正確なら大成功なんだけど、残念ながら十日も放っておくと四半日ずれてしまう」
 おどけたように言う青年の表情は、声音ほど明るくはなかった。彼は初めて聞かされた事実に驚きつつ、放っておけば際限なくしゃべり続けそうな青年を押しとどめる。
「それはいいんだけど、あなたはどうしてここに」
「ファラディの時計が壊されてしまってね。今は失職中なんだ。よければ、ここで君の仕事を見学させてくれないかな。うちの時計をどうにか改良しようと思ってたんだ。それには、ここの時計を参考にするのが一番いいから」
「はあ? だって、それは」
 この時計はウェーズロウスの宝とでも言うべき存在だ。この技術の結晶を、他国の人間に見せろというのだろうか?
「ファラディとウェーズロウスは、今はもう友好国だろう? ――まあ、その王家は倒れはしたけれどね。ファラディのお姫様、正当な王家の最後の血筋だが、姫様だってウェーズロウスに保護されている。別に、咎められることはないんじゃないかな」
「そうかもしれないけど。一応、陛下に伺わないと。午後に王城で謁見願を……ああ、あなたにも来てもらわないと。一人で留守番なんてされちゃたまったものじゃない。あの、窓から入ったんでしょう?」
「そうだよ、どうしても時計塔の内部が見たくてね」
「今度からは、そんなこそ泥みたいな真似はしないように。僕の住まいにおいてあげますから、おとなしくしていてくださいね。ファラディからの入都者は、王城に届けなきゃいけないんですよ。もう済ませましたか」
「いいや、まだだよ」
 飄々と言った青年に、彼は頭を抱えた。入都登録もせずに、そんなに時計塔が見たかったのか。
 行きがかり上面倒を見ることになってしまった青年とはたしてうまくやっていけるのか彼は不安だったが、一方で時計の技術を伝える者が現れたことに安堵もしていた。彼の前の時の番人であった父が亡くなって以来、彼の家族は商家の嫁になった姉が二人だけだった。
 時計の技術を分け合える人間は、彼の周りにはいなかった。
「仕方ない。僕は上に行って仕事をしてきますから、ここで待っていてくださいね。くれぐれも、周りのものを壊さないように」
「どういうことだい?」
 怪訝そうな表情をした青年に向かって、彼は小さく声を立てて笑った。
「上に、もう一つ扉がありますから……あそこの窓のような隙間はまったくありません。ウェーズロウス中で、僕しか入れない聖域ですよ」

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