ウェーズロウス・ファンタジア


 


047:踊る妖精 ―――――
 喧騒の中を、目を隠すくらいに引き下げたフードを被った少女がすり抜けていく。白い頬と細い顎。楽しげで余裕のある瞳であちらこちらの市を見渡す少女は、日々の糧を得るために汗を流して働く必要がなく、趣味の範疇を出ない遊びで時間を浪費することができる貴族の娘だ。その証拠に、身につけているものはすべてしっかりとした布と縫製技術によってつくられたものであるし、愛らしい顔立ちにも気品と自信とが漲っている。
 彼女はつかず離れずの距離を保ちながら歩いてくる後方の護衛をこっそりと窺い、小さなため息をついた。
 護衛は二人。武装はしていない。民間人を装っているのだ。もちろん、大きな身代の貴族の娘で、父が遺した莫大な財産を一人で受け継いだ身である彼女が気軽に街に出ようというのだから護衛が必要なのはあたりまえだが、彼らがいることで買い物一つにも緊張が走る。屋台のおばさんと談笑することもできないし、苦笑したくなるほど安っぽい装飾品を手に取ることもできない。
 ひどくつまらない買い物だ。
 彼女は少し足を速め、護衛の男たちもまた急ぎ足になったところで身を低く沈めた。スカートの中で足を曲げ、小さな子供がよくやるように屋台の裏へ身を隠す。人通りの多い中で大人たちに押しつぶされてしまいそうになる子供は、屋台の裏の小さな隙間をすり抜けていくのだ。彼女は、あるときそれを目撃して以来ずっとやってみたいと思っていた。
『お嬢様』がまさか屋台の裏に潜んでいるとは思わないのか、男たちは二手に分かれて彼女を探しに散っていった。その光景を見て、彼女はあきれていた。確かに屋台の裏へすべりこんだ自分も非常識だが、彼らが少し見失った間に自分がそう遠くへ行けると思っているのだろうか。彼らは走ってはいけない。守るべき対象と同じ速度で歩き、同じ視点でものを見なければならないのに。
 男たちの背中を見送って、彼女は再び屋台と露店を両側に並べた通りへ戻った。
 街へ出たのはもちろん初めてではないが、彼女にとってはめずらしいものばかりだった。
 人々はまるで彼女には手に入らないものなどないように言っているが、そんなことはない。道の両脇に並んでいる数々の装飾品や雑貨、玩具の類は彼女が見たことも聞いたこともないようなものである。人形一つにしても、彼女が知っているのは豪奢なドレスをまとってつんとすました表情をした娘ばかりで、いきいきと笑っているかろやかな姿の人形や少年と少女が対になった人形など見たことがなかった。
 人形がたくさん並ぶ露店の前にしゃがみこみ、彼女はずらりと並べられた人形たちを見回した。
 さまざまな顔が、彼女に笑いかける。家にある人形の、自分が晩餐会や舞踏会で浮かべているような作り物の笑みではなく、心の芯から温まるようなほんのりと心地よい表情だ。
 自分が与えられた人形を作った人形師よりもずっと腕の良い職人が作ったに違いないと彼女は思った。
「ねえ――見て」
 視線は店主の膝に向けたまま、微笑した彼女はささやくような声音で言った。
「……なんだよ、気づいてたのか」
「あれ、かわいいわね。あの台は何? その横のものは?」
 神出鬼没といえる青年の言葉を無視し、彼女は一つの玩具を指さした。ウェーズロウスの下町育ちだが不思議と彼女にとって好ましい容貌と気性をしている義賊のような慈善家のような青年は、彼女が指さした玩具を手にとり、華奢な妖精が立っている台の横についた取っ手のようなものをくるくるとまわした。
「ここをまわすとな、こいつが動くんだ。知らないのか?」
「知らないわ、こんな玩具見たことないもの。……ねえ、踊っているわ。かわいい……」
 目を輝かせて踊る妖精に見入る彼女を、青年はじっと見つめた。
「これは祭りでよく売ってるやつだ。豊穣祭の夜に窓辺で動かすんだよ。……なあこりゃ売れ残りだろう?」
 青年が店主に問い掛けると、店主は苦笑してうなずいた。
 彼女は何度か目を瞬かせた。ウェーズロウスにはまだまだ自分の知らないことがあるという驚きと、このような愛らしい妖精が売れ残っていることの不思議に。
 青年は世間知らずな反応を示す彼女を見おろして微笑んだ。その優しい表情に目が吸い寄せられる。
 彼女は青年から目をそらし、踊る妖精のぜんまいをくるくると巻いた。軽やかに踊りだす妖精を眺めたあと、顔をあげて店主に声をかけようとし。
 おもむろに、彼女があげかけた声に青年の言葉がかぶさった。
「これ、くれよ。いくらだ? 売れ残り」
 最後の言葉を強調する青年に、店主は二束三文のような値段を告げた。彼女にはひどくみすぼらしく見える銅貨を手渡した青年は、立ち上がると彼女の手を引いて歩き出した。
「ほら、やるよ」
 青年は彼女に妖精を手渡した。つないだ手とは反対のそれで受け取り、彼女はそれを懐に仕舞った。
「ありがとう」
 青年がどこへ向かっているのか、彼女は知っていた。手をつないで歩いていく途中、彼がぽつりと言った。
「……護衛、まいてきたんだろ」
「ええ」
「あいかわらず、勇ましいお嬢さんだな」
 彼女はフードの下でそっと微笑んだ。
 その言葉は、誉め言葉のような甘い響きを伴っていた。

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