ウェーズロウス・ファンタジア |
018:混血 ――――― |
派手な音を立てて壁を殴った拳に、かたわらにいた彼は驚きもせず苦笑した。感情の起伏の激しい友人に出会ってから初めてチョコレートなどという高級嗜好品にたとえられた色の手を友人の肩にかける。 「仕方ないよ、決まりなんだから」 「その決まりが理不尽なんだよ! お前は悔しくないのかよ!」 当事者である彼以上に怒りをあらわにしている友人に、彼は当惑のまなざしを向けた。――決まりなんだから、仕方がない。そう告げたのは本心からだった。けれども、友人にはそれが理解できていないようだ。 「だって、上の学院まで言ったって今と何も変わらないよ。王城勤めに推薦されるわけでもないし、どうせろくな仕事には就けないし……」 ものごころついたときから――いや、母親の胎内にいたときから、彼には多くを望まない癖があった。それは彼の身に流れる血に起因するもので、彼ひとりがあがいたところでどうにもならないのだ。 「ここまで学院に置いてもらえただけでもありがたいと思ってるよ。お前も、あんまり騒ぎ立てないほうがいい」 タルバート民族の者を庇うと、将来に疵がつく。 冷めた口調でそう言うと、友人は大きな図体で歯をくいしばった。泣くのをこらえているらしい。 「……誰も、お前に代われる奴なんていないよ。お前の代わりに上まで行って、他のところから来た奴らに張り合えるのなんていない」 ウェーズロウスに点在する学問所。その中でも特に成績の優れたものだけが王城の敷地内にある上級の学院に入ることができるが、彼と友人が通う学問所はそう権威のあるところではなかった。友人は名家の出だが、貧しい身なりをした者もたくさんいた。彼とて、ほんの数十年前まではウェーズロウスでは市民権を持たなかったタルバート人なのだ。 今でこそ学問所にも出入りができるし、店をのぞいていても犬のように追い払われることはない。けれど昔、砂漠から旅をしてきた身なりのよいタルバート人は、たとえものごいのような暮らしをしている者だとしてもウェーズロウスの大部分を占めるアズリーカ人に劣っていた。彼はどんなに出来がよくとも、上の学院には行くことができないし王城にも出入りできない。 理不尽だと騒ぎ立てている友人のほうが、無駄なことをしているのだ。彼はただ、正しい判断をくだして諦めただけだった。 「ほら、邪魔になるから行こう」 自分よりもかなり大きな友人を引っ張り、彼は師の個室の前から移動する。 いくつも並ぶ丸窓から陽光があふれんばかりに差し込む教室に入り、彼は友人と向き合った。 「そんな大きいなりして泣くなよ。僕なら、大丈夫だからさ」 「お前が大丈夫でも、俺は違うんだ。どうしてだよ、お前がそんな肌をしてるのは、お前のせいじゃないだろう? それなのにお前ほど頭のいいやつが上へ行けないなんて間違ってると思わないか?」 タルバート人の特徴であるチョコレート色の肌を持っている彼は、学問所のほとんどの者に生粋のタルバート人だと思われていた。けれど淡い金色の瞳や顔のつくりが小さいことなど、アズリーカの民を思わせる部分も持っている。 彼はタルバートの商人とウェーズロウスのアズリーカ女との間にできた混血だった。 それを知る者は、学問所の中では目の前の友人と師だけだ。タルバートの者である彼を学問所の者は皆遠巻きに見ているだけだったが、この友人だけが彼に近づいてきた。まったく物怖じしない性格と溌剌とした瞳を持った友人は、タルバート人との付き合いに顔をしかめる周りを気にすることもなく彼との関係を築き上げた。 学問所を出ればもう会うこともなくなるだろうが、彼には上の学院へ行き、かがやかしい人生を歩んでもらいたいものだと思う。 「僕は、上へ行こうとは思わないよ。……それよりお前が、上へ行ってウェーズロウスを変えてくれればいいんだ」 自分が日のあたらない場所で暮らしていたとしても、この友人が幸せであればいい。 彼は、友人がタルバートの者にも偏見を持たない度量の広い男だからこそ、自分との付き合いで未来を潰すようなことはして欲しくなかった。 「それじゃあ、僕は帰るから」 別れを告げて友人に背を向けると、友人は慌てたように彼の腕をつかんだ。 「ちょっと待て。……なあ、俺、上に行くよ」 彼は少し首をかしげて振り返る。 「いつかタルバート人も上までいけるようにしてやるよ。だから、お前はそれまで待ってろよ。……そうだ、家に来い。どうせ働き口のあてもないんだろ?」 金の瞳を見開いて、彼は友人の顔を凝視した。真剣な表情からは嘘は感じられないし、この男はそもそも嘘をつくような人間ではない。 「俺のところで待ってればいい。……俺がお前の代わりに、上で学んでくるからさ」 だからこれからも一緒にいよう、と言った友人の言葉に、彼はためらいながらも頷いた。 タルバート人に対するウェーズロウスでの制限事項がすべて撤廃される、十年前の話である。 |
020:花束 ――――― |
ウェーズロウスの時計台、時には公開処刑が行われることもある都市のシンボルの下で、少女が花を売っていた。 まだあどけない頬ときらきらと輝く瞳を持った、十を少しすぎたばかりかと思われる少女である。片手に小さな花かごを抱え、澄んだ声で道行く人々に花をどうぞと呼びかける。くしゃくしゃに絡まり、埃さえかぶった金髪は、手入れをする時間と金とがあればすばらしい光沢を放つだろうと思われた。 粗末ではあるがもとは愛情こめて仕立てられたのだろう子供用のドレスを翻し、少女は時計台の周りをくるくると回る。花売りの中では比較的年長である――もう少し年を重ねると、花よりも手っ取り早く金になるものを少女たちは売るのだ――少女は、ウェーズロウスでもいちばんの場所を縄張りに持っている。華奢な少女を養っていくくらいのコインは、常にポケットの中に入っていた。 「あら、ねえ、ちょっと!」 顔なじみの少年を見つけた少女は、裸足で石畳を蹴り、茶色の帽子をかぶった少年に駆け寄った。 満面の笑みを浮かべて駆けてくる少女に、少年は軽く手を上げて応えた。少女よりもいくつか年上である少年は、主に飛脚のまねごとをして日銭を稼いでいる。ウェーズロウスの外へ出て手紙や品物を言付かるのはまだ無理だが、城壁内をあっというまに飛び回り、ちょっと裕福な家庭や商家の用を足して回るのだ。 「久しぶりじゃない、お得意様でも見つけたの?」 「ああ、アンベリナー夫人の息子がひいきにしてくれるもんだから」 「ふうん、よかったじゃない。羽振りがいいなら花を買ってよ」 「馬鹿言うなよ、花なんかに金を出せるほど楽な暮らしはしてないよ」 すげなく断る少年に、少女は愛らしい唇を尖らせた。少年は上気した白い頬から目をそらし、わざと突き放したように呟く。 「俺も忙しいんだよ、若様の用事はひっきりなしでさ。女の人との交わし文が、こんなにたくさん」 機嫌の悪くなった少女の姿に罪悪感を感じながらも、少年はその場で足踏みをしてみせた。けれどそのしぐさとは裏腹に視線は少女から離れず、未練がましくぐずぐずと時計台の下を歩く。 少女はつんと顔をそむけ、少年に言った。 「早く行きなさいよ、花を買わないなら用はないわよ。次に会うのは、その若様とやらにあたしの花をたくさん買わせるときにして」 少々言い過ぎたかと後悔の色が見えるまなざしで少年はうつむいた。少女たちのような人間が力のある人間におもねるのはいつものことだが、彼だって買えるものなら少女の抱える花のすべてを買ってやりたいと思っているのだ。 彼はただ、少女のために寝る間も惜しんでウェーズロウス中を飛び回っているのだった。 「わかったよ、若様に女の人に文を送るときには花を添えるように言っておくよ」 「……本当? だったらあたし、もっともっときれいでいい香りのする花を用意して待ってるわよ」 たちまち機嫌の直った少女の表情を目に焼きつけ、少年は短い言葉とともに身を翻した。 いつか売り物の花でなく、庭中を花で満たした小さな家に彼女を住まわせてやりたい。 愛らしい表情と花束を握るに似つかわしいほっそりとした手とを持つ少女に、花以外のものは売らせたくない。 その思いで、少年は今日もウェーズロウスを駆け回る。 いつかくちづけのひとつと引き換えに、少女から花束をもらえるように。 |
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