ウェーズロウス・ファンタジア


 


001:時計 ―――――
 ファラディから来た奇妙な男を養い始めてから、早いものでもうひと月になる。彼はウェーズロウスの王から都市の時間の守護者として俸禄をもらっているため、暮らしには不自由していない。それにひきかえ男は無為徒食の日々をすごしているのだから、まさに養っているという表現がふさわしかった。
 父と自分しかいたことのない空間にあたりまえのようになじんでいる男は、最初ひどく違和感を伴って彼の神経に障った。けれどそれにも徐々に慣れ、神秘の知識をわかちあう人間が存在することに安心感すら覚える。
 ファラディの幼い姫を戦乱の中からすくいあげてウェーズロウスまで連れてきたという騎士が男の顔を見知っていたことから、男は彼のように禄こそ受けないものの時計の部屋に出入りする許可を得ていた。興味深げに大時計の機構を見つめ、すべてを頭の中で分解するような聡明な視線に、悔しいが彼は感服している。
「……また、何か始めたんですか」
 きわめて不本意だが、男は自分よりも二つ三つ年上らしい。ぞんざいな丁寧語で問い掛けると、男は楽しげににっこりと笑った顔で振り向いた。
「そう――どうにかして、『闇夜』の時計を復活させたいと思ってね。とりあえず、簡単なものから組み立てているんだよ。どうにか見られるものができたら、姫様に献上しようかと」
「小さな時計は精度が問題だって言ってたじゃありませんか。使えるものができるんですか」
「さあね。とりあえず作ってみるよ。いずれは俺も時計の製作を始めなければならないし、それには手慣らしが必要だから」
 男は肩をすくめて歯車の点検を始めた。
 その昔時計の完成を争った二人の技術者。勝者は『真昼』と呼ばれ、ウェーズロウスの象徴として燦然とそびえたっている。一方敗者の時計はその名を『闇夜』といい、ファラディの片隅でひっそりと研究が続けられていた。いつか、ウェーズロウスの時計をしのぐ、小さく精確な時計に生まれ変わるために。
 その研究はもう何十年も続けられているはずだったが、その間『闇夜』がどれくらいの進歩を遂げたのか、それは彼には謎のままだった。もともとの技術にたいして差はなかっただろうに、なぜいまだ『闇夜』が完成していないのか――男はそれについて何も言及しない。
「『闇夜』と『真昼』は本来、そう違わない構造をしているはずだろう。だけど、『真昼』と『闇夜』はあきらかに違う――よほど独創的な、腕のいい職人が手を加えたんだね」
「……まあ、あんたがそう言うならそうなんでしょうが」
 彼は不承不承そう言った。
「だから俺は、もとあった『闇夜』よりもいい時計を作りたいな。『真昼』でも『闇夜』でもない、新しい時計をさ。いつか、もっと多くの場所に時計を置けるようになれば、それが最高だよ」
 どう思う、と男は彼に問う。彼も、その理想には賛同できないことはない――しかし、父に続いて諾々と時計を守っているだけだった自分は、男のような積極的な人間にはついていけないとも思うのだ。
「俺にとって、祖国を失って唯一よかったことは、お前のところに居候させてもらえるようになったことだよ。生きてるうちにこの目で『真昼』を見られるだなんて、思ってなかった」
 不謹慎だが楽しげな口調は、理解できる。彼だって、時計とウェーズロウスどちらが大事かと言えば、時計に決まっているのだ。彼の先祖は、もしもファラディの職人よりも時計の完成が遅れた場合には男のところの職人と同じような、日陰の運命をたどっていたに違いないのだから――彼らにとって、時計は子供のような、親のような、そしてもっと大きな庇護の力を持つものだ。彼を保護する都市、ウェーズロウスのように。だから、時計だけは失うことができない。
 彼は――男を一度、自分の気持ちを、背負ったものを、唯一理解できる人間だと判断したのではなかったか。よけいなわだかまりは持つべきではない。
「まだ、見てないでしょう」
 低く呟くと、男は驚きに目を見開いて彼のほうを振り向いた。
「見てもいいのか?」
 はじけるように立ち上がり、目を輝かせてこちらを凝視する――子供のようだ。とても熱意のある、子供。その様子がおかしくて、彼は小さく声をたてて笑った。
「いいよ」
 彼は時計塔のてっぺんに上がる階段の鍵をあけた。ゆっくりと昇っていく。
 男が、待ちきれない気持ちがあふれるような足取りでついてくるのがわかった。


 


004:霧深い都市 ―――――
 ウェーズロウスは、いつからこんなおぼろげな輪郭をした静謐な都市になったのだろう。
彼女は思う、自分の知っているウェーズロウスはここではない、自分の故郷はもっと明るく、活気に満ちたところだった。まるでそこにあった食材を無造作に、そして手当たり次第に投げ込んだ鍋料理のようであっても、雑多な喧騒のなかにぬくもりと笑い声とが響きあう、やさしい街だった。
 けれど今はどうだろう。霧に覆われた静かな防壁、人通りの絶えた、奇怪な芸術作品のような巨大な門。そんなはずはないのに、打ち捨てられ朽ち果ててしまったような印象を受ける。
 彼女は変わり果てたウェーズロウスから目を背け、馬車の御者台で身体をふるわせた。以前見た熱気はどこにも見られない。遠目に見ればそれは廃屋のようで、不吉な想像が脳内をかけめぐる。
 自分が長らくこの地を離れている間に、流行病でもあったのか、それとも、戦でも起こったか。どちらにせよ、家族や友人たちの身が気がかりであることに変わりはない。
 馬に鞭打ち、彼女は門をめがけて駆けていった。

 大きすぎる門の前で、子供が泣いている。まだ十を過ぎたあたりだろうか、細い身体とくしゃくしゃに乱れた頭髪でうずくまって、泣いている。
 彼女は馬に引かせた荷車から降り、門のかたわらにしゃがみこむと子供に声をかけた。黒い髪の毛を撫で、うすい肩を引き寄せる。
「どうしたの、坊や」
 子供は泣いている。いくら見ず知らずの大人とはいえ理由が話せないわけもあるまいに、大きな目から洪水のように涙をあふれさせて泣きじゃくる。
 彼女は根気強く子供の隣に座り込んでいた。実家に残した娘と同い年くらい、そしていつか亡くした息子とよく似た少年。懐かしく愛しくて、その場を立ち去ることができなかった。
「泣いててもいいから……私と、いっしょにおいで。あったかいごはんを食べさせてあげられるわ」
 いつもならばウェーズロウスに収まりきらなかった貧しい民がたむろしている防壁の下に、なぜか今日は誰もいない。彼女はとりあえず壁にぴったりと馬車を寄せて馬をつなぎ、鍋を取り出して火をおこした。
「燃えすぎないように見ててね、……おや、手伝ってくれるの? 偉いね、坊や。名前を聞いてもいい?」
「…………でも」
「ううん、言いたくないなら黙ってな。ただし、坊やって呼ばれるのを嫌がっちゃあだめだよ」
 できる限り優しい声音で、少年の緊張をほぐすように彼女はささやく。とりとめのないことを話し続け、少年がひっそりとした笑みを返してくれるようになるまで自分も笑い続けて。
 いつしか、不安は忘れていた。
 人気のない門も、あたり一面に立ち込める霧も。少年ひとりだけがウェーズロウスの『外』――門のすぐ側であっても壁の外にいたことの不自然さも、もう気にならない。
 まるでずっと昔から親子であったような、この感覚。薄汚れてはいても素直でかわいらしい少年に、彼女はひとめで魅了された。
「――私ね、商人なの」
 少年は無言で頷く。
「この近くのアッバスまで、大きな隊商にくっついて帰ってきたの。久しぶりに、ウェーズロウスで骨休めをしようと思って。ウェーズロウスは私の故郷で、父と母に娘も預けてある。君と同じくらいの年の娘なんだけどね、父なし子でも私の両親にかわいがってもらってるみたい」
 たまにしか顔を見ない娘。自分のことを覚えているかもあやしいものだ。
 けれど、腹を痛めて産んだたったひとりの子であることは確かで。
 そして親子の絆は血のつながりだけではないということを、彼女はわかりかけている。
「どうしてこんな状態になってるのかって、君説明できる?」
 少年は首を振った。とまどいと不安の混じった頼りない表情で。
「そう……。あのね、私ウェーズロウスを素通りしようと思うの。一度アッバスに戻って、何が起こったのか人に聞いて回るつもり。だって、こんなのおかしいものね。だからね、その……」
 彼女は少年の大きな目を見つめた。
「君、私と一緒に来ない? もちろん、お父さんとお母さんがいないなら、だけど」
 喪った息子の身代わりにする気などない。少年は少年で、他の誰でもない。けれど彼は、彼女のいつくしむべき小さな雛鳥だ。
「……いいの?」
「もちろんよ、私のほうは、君がいいなら」
「ぼくがここにいれば……あなた、泣かない?」
「……泣かない。泣かないわ、君がいるなら」
 少年は微笑み、彼女の耳もとでそっと呟いた。
――――ぼくの、なまえは……――――

サイト案内へ目次へ

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送