サイト案内螺旋機構「太陽の迎え子」目次 / 前頁>次頁



邂逅の章、一(前編)
 シアは結局、大きな人々を連れてリスルのところを訪ねてみようと決めた。とりあえず蛇の巨人であるハイネには新しい衣を仕立てるための布地が必要だったし、彼女たちは食糧も持っていない。周りの人々はシア一人でさえ受け入れてくれないかもしれないが、リスルならきっと何らかの形で彼女たちの助けになってくれるはずだ。クアイスと巨人たちにはどこかで野営してもらって、必要なものだけシアがリスルからもらってきてもいい。
 ハイネは再び蛇の姿に戻り、元通りディスタの腕に巻きついた。蛇がハイネという巨人の女性だと知った今となってはその姿が少し可笑しくて、シアはくすくすと笑い声をもらした。
『何を笑ってるんだよ』
「ごめんなさい、なんだか……ハイネさんもディスタさんも、かわいらしくて」
『……はあ?』
 いかにも不可解だというふうに声をあげたディスタが、顔をゆがめた。巨人たちに言葉はないのに、表情はひどく雄弁だ。音を介さずに伝わる心の声が常に真実だけを告げているとは限らない、ということだろう。
 クアイスはシアが声を立てて笑ったことが嬉しいらしく、少し後ろに離れたところから三人を見守っていた。まだ完全にハイネとディスタに気を許したわけではないだろうが、それもまあ――二人にとっては不本意でしかもひどく悲しいことだが――仕方のないことかとシアは思う。
 心強い道連れを得てしばらく歩くと、じきにリスルが住む集落の裏手に出た。もとからそう離れたところにある集落ではないし、シアとクアイスも夜の間にかなり歩いたから当然だ。今日は祭りだから人々は皆浮かれている。リスルは祭りの舞台で舞うだろうからすぐに近づくことは難しいが、いつかは家へ戻る。そこをつかまえるのは簡単だろう。
 シアはリスルの集落に来たことなどもちろんなかったし、彼女の家がどこにあるのかも知らなかった。けれど集落のつくりなどだいたいは同じようなものだから、どこに神殿があって、どこに祭祀の重要な部分を担う女性を抱えた家族に与えられる家があるのかくらいは把握している。リスルの夫は神官の家に連なる男だというから、それを考えてもリスルの家が神殿の近くにあることは明白だった。
 浮かれ騒ぐ人々を見つめていると、本当は自分も女神にもっとも近い女性の一人として舞っているはずだったのにという思いが強く浮かび上がってくる。誰も、あんなことは望んでいなかった。少女たちが無防備に聖別されているところに賊が押し入って、何より大事な宝剣が盗まれるなどということは。あの神剣は彼女の故郷が近隣に誇るべき宝だった。女神の恩寵の証であり、ここ数年を除いては繁栄の象徴だったのだ。
 それがなくなってしまった今、彼女たちはどうすればいいのだろう。もちろん捜索はされているに違いないが、シアは神剣が見つかるとは思えなかった。
 問題は山積しているが、今はとりあえずハイネの着物を調達することと腹ごしらえが第一だ。闇雲に探し回っても、ノアは決して見つからない。
 シアは巨人たちとクアイスを集落の周りの茂みの中で待たせ、一人になってリスルを探しになだらかな山を下った。祭りで人々が浮かれているとはいえ、彼女がよそ者であることに変わりはない。シアが舞姫であればこそ、祭りの日にこのようなところにいるのは不自然だ。
 そろそろとうつむき加減に歩いていく。特に大きな集落でもないから、神殿までの距離はあまりない。家々を目の端でうかがっていると、見慣れた――結婚した今でも変わらない――短髪が目に入った。
「リスルさん!」
 すんなりと背筋の伸びた後ろ姿を見た瞬間に、シアは叫んでいた。少し日焼けしたリスルの顔が振り返り、にこりと笑み崩れる。
「シア、どうしたの!」
 大きく手を広げて、駆け寄ったシアと抱擁を交わす。しかし喜びもつかの間、シアがこの日ここにいるのはどう考えてもおかしいということに思い至ったようだった。
「本当に――どうしたの」
 リスルが顔を曇らせて尋ねてきた。シアは家の中に案内されながら何をどう話したものか心を悩ませ――そして。
「あれ……サリティナ」
 家の中には、主であるリスルの夫ではなく――折れそうに華奢な、長い金髪の少女が座っていた。小さな白い顔が驚いたようにシアを見つめる。吸い込まれてしまいそうに青い瞳は、今までに見たこともないくらい美しかった。何か常の人とは違うような、不思議な雰囲気を持っている。
「お客様ですか? 私……邪魔ですよね」
「ううん、いいの。狭いのさえ気にしないでいてくれるなら」
「それじゃあ……」
 見知らぬ客がいる以上、やっかいな相談ごとをリスルに持ちかけるわけにはいかなかったが、だからといってもう一度出直してくるというのも難しい。シアはリスルの家に上がりこみ、美しい少女を目の端で見つめながらリスルの言葉を待った。
「ごめんね、本当に狭いの。奥に、もう一人客がいるから。この子の連れなんだけど……今、ちょっと困っててね。言葉が通じないのよ」
「……え?」
「それにこの子、どうも風の女神の巫女みたいで……どういうことなのかわからなくて、混乱してる」
「ちょっと、待ってください。私だって、わけがわからない。……キリサナートーの巫女? この人が? それで……言葉が通じない? それって」
 思いついた答えにうろたえながらシアは呟いた。山の中で出逢った巨人――オルテツァの時代の人間。そして、違う言葉を話す風の女神の巫女――つまり、風の太陽の時代の子供。
 彼らが慈水の民の、ユギリアイナの支配する水の太陽の時代に姿を現すなどということが、はたしてありうるのだろうか。しかしシアは実際に自分の目で確認している。――ハイネとディスタは、まぎれもなく巨人である。
 時計盤の上の時間を越えて水の太陽の時代に現れた人間たち――それに畏怖さえ感じながら、シアは目の前の少女を見つめた。サリティナ、と言っただろうか。風の女神の巫女。
「あの、リスルさん……私、ちょっと話したいことがあって。私がここへ来た理由なんですけど……きっと、彼女にも関係のあることじゃないかと」
 不安げに首をかしげたサリティナを安心させるようにリスルが頷いた。奥ではかすかな水音が聞こえている。サリティナの連れだという人間だ。
「じゃあ、彼もまじえて話すことにしようか。……と言っても、言葉は通じないけどね」
 肩をすくめたリスルに、シアは短く声を上げて注意を促した。
「リスルさん……」
 目をいっぱいに見開いたシアに、リスルは面食らったような顔で答えた。
「どうしたの」
「驚かないでもらえるなら、私きっとこの人とその連れの方とお話ができる人を連れてくることができます。大所帯になってしまうけど」
 ユギリアイナの民と話が通じる、音としての言葉をもたない巨人族。彼らならばキリサナートーの民とも話ができるはずだと、シアは思いついたのだった。


 優しげな顔立ちの少女が何か言葉を発するのを、ぼんやりと霞がかかったような意識で聞いていた。それはただ音の連なりでしかなく、明確な言葉として認識はできなくて、そのことがサリティナをどうしようもなく不安にさせた。
 少女が立ち去った後に奥の部屋からハルヴァが出てきた。ずいぶんとさっぱりした顔をしているが、そのせいでよけいにやつれた頬が目立っている。申し訳なさでいっぱいになったサリティナが立ち上がって椅子を勧めると、いつもだったら固辞するだろう青年がひどく素直に腰を降ろした。
「誰か来ていましたか」
「ええ……多分、リスルさんのご友人が。すぐに出て行ってしまわれましたが……」
 言葉が通じないのだから、それ以上のことがわかろうはずもない。ハルヴァは軽く頷いた。
「何かあったのでしょうか」
「けれど……おかしな空気はありません」
 いっときはどうしようもなく不安定になったが、リスルの所作を見ていると、サリティナの心は落ち着いた。彼女はサリティナを十の年から導いてくれた教官であった巫女に本質のところで似ているのだと思う。当時のサリティナは、ディア以外には教官しか頼る人間がいなかったから、成長した今となっても彼女に似たリスルを見ていると無条件で信頼し、自分を預けてしまうのだ。
 けれど、二人ともがもうここには存在していない。生きているのはただ、サリティナとハルヴァだけだ。
 いつまでも彼女たちに頼っていては――いけない。
 すべて、自分の甘えた心が生み出した悲劇なのだから。
「……私、リスルさんに果実のお酒をいただいたのですが」
 サリティナは喉に流し込んだ甘みを思い出しながら呟いた。
「リスルさんに頼んで、殿下のぶんもいただいたほうがよかったでしょうか。あの――飲むと、ずいぶん落ち着くので」
「そうですね、お願いしようか」
 サリティナは少女を見送りに外へ出たリスルを追いかけた。リスルは扉のすぐ側に立って、浮かれ騒いで通りかかる人々から客人を迎え入れた家を隠しながら少女が去っていったとおぼしき方向を見つめていた。
「サリティナ」
 リスルが体をずらして、道からサリティナの姿が見えないように隠してしまった。奥まったところにある小さな家だったから見られる心配はないし、サリティナにはどうして自分が隠れなければならないのかわからなかったのだが。
「どうしたんですか?」
 首をかしげてみせると、リスルは道ではなく山のほうへ視線をめぐらせた。
 誰かが――降りてくる。先頭は少女だ。出て行ってからそう時間も経っていないのだが、他に見える二人はどこにいたのだろうか。
「知らない顔だけど……一人はクアイスかな。いずれにしても、大きなのばっかりだ」
 リスルがなにごとか呟いて、ひらりと身をひるがえすと家の中に舞い戻った。蝶か隼のような身のこなしの女性だ。サリティナはリスルに続き、なぜか家の中の大きな家具を動かし始めたリスルのあとをおろおろとついて、手伝おうとする意気込みだけ見せた。もともと力もないし山暮らしが続いて弱っているうえに、家具の移動などしたことがないから何をすればいいのかまごついている間にリスルがすべて済ませてしまったのだ。
「サリティナ、隅のほうでじっとしていたら」
 ハルヴァに声をかけられて、サリティナは悄然と壁際に立った。
「すみません……」
 小さく謝ったサリティナに、ハルヴァは驚いたような表情を見せた。けれど――言葉が通じないというだけで、どうしてこんなにも苦しく、心細い思いをしなければならないのだろう。リスルは確かに信頼できる女性だが、今のサリティナが安心して側にいることができるのはやはりハルヴァだ。
 小さく吐息をもらして、サリティナは俯いた。泣いてはいけない。けれど、涙というのは勝手に溢れてくるものなのだ。どんなに下睫毛が長くても雫の重みをいつまでも支えることはできないし、悲しいと思えば泣くことは止められない。
 泣きはしなかった。涙が零れ落ちる寸前で止まったのはなぜなのか――サリティナにはわからない。けれど彼女が泣かなかったのは、彼女が強いからではない。
 胸の奥が何かでふさがれたように詰まって、苦しかった。けれど気付いてしまったからには、泣くわけにはいかなかった。
 ここでもまた、自分は重荷なのだと。もはや彼女は風の女神の愛も持たない、ましてやユギリアイナの御世では何の力もない、自分の面倒すら見られないちっぽけな少女なのだと。


 大きな蛇はするすると青年の体を伝って床に下りた。そのまま床を這っていき、奥の一室に姿を消す。何人かの驚いたような視線を受けた気がしたが、そんなことにはかまわない。
 蛇――蛇の巨人ハイネは、扉が閉まったところでゆっくりと人の姿に戻っていった。意識が野性の下から静かに浮かび上がり、周りの景色が心の中で鮮明になっていく。巨人たちには狭すぎる小さな部屋である。だが、寒くはない。
『だけど衣がほしい……』
 はっきりとハイネは思った。おそらく、あの少女がハイネの体に合う衣を調達する算段をしてくれていると思うのだが。
 とりあえずの用を足すものとして、ハイネは寝台にかかっていた上掛けを羽織った。これで食べ物があったら、言うことはない。人から蛇へ、蛇から人へ変化するのには、ひどく体力を使うのだ。ここまではディスタに運んできてもらったからよかったが、もう一歩も動きたくない。
 しかし、しばらく待っていたが、ハイネの望むものはもたらされなかった。衣も食事も、調達には時間がかかるからあたりまえのことだ。自分がシアやシアの知り合いにどれだけの迷惑をかけているかは、自覚しているつもりなのだし。
 そうは思ってもどうしても空腹に耐えられず、ハイネはよろよろと立ち上がった。自分の足で立った途端、目の前が暗く沈んで頭が揺れた。ふらふらとその場でたたらを踏んで、ハイネはこの世界の人々より一回りどころか二回り以上大きな体で床に倒れこんだ。不名誉なことだが、大きな音が響いた。
 向こうの部屋から、驚いたのか誰かが様子を見に入ってきた。いまだに暗い視界では、華奢な姿しか確認できない。細い手がさしのべられる。白魚のような手だ――シアのものでは、ない。
『誰……?』
 問い掛けると、相手は息を呑んでハイネの大きな体を抱き起こそうとした。残念ながら、ハイネに対して相手が非力すぎたようだが。
「あの……言葉が」
『シアじゃないね。私のこと、聞いてないの』
「はい……」
 小さな声だった。おそらく――蛇が這って部屋に入っていったのにも驚いただろうし、様子を見に来たらそれが女に変貌していたのだからさらに驚愕したことだろう。ここにいるのは巨人族ではない。巨人も見たことがないし、ましてや異形など知るはずがないのだ。
『私と向こうの大男はね、オルテツァの土の時代の巨人なの』
「土の太陽の時代のことなら、知っています。神殿で学びました」
『シアも、そんなこと言ってたな。私たちの時代には、知識を系統立てて学ぶ場所なんてなかったし、ことさらそのための建物を建ててオルテツァを祭ることもなかったけど』
「それは……あなたがたが、神に近い人間だったから」
『ここはそうじゃないってわけ?』
「……わかりません。私は、ユギリアイナの時代の人間ではないんです。キリサナートーの――あなたがたの時代の次に生まれた、風の太陽の民です。その中でも、私はもっとも神に遠い人間なのでしょうけれど」
 少女の声にはかぎりない悲哀と自嘲がこもっていた。痛々しいほどにつらい声音だ。少女は今、感情をうまくしまっておくことができないでいる。だから――ハイネとディスタ、感覚のすぐれた巨人たちには、たやすくそれを読み取ることができる。
『私はハイネ。蛇の巨人。異形については、おいおい聞いてちょうだい。それよりも、何か着るものと食べるものが欲しいんだけど』
「あ、はい――あの、衣はシアさんが作っていらっしゃいます。食べるものは、リスルさんが用意してくださっているようです。……私は、縫物も料理もできないものですから、役立たずで」
『珍しいね。風の時代ではそれが普通なの』
「いいえ……」
 少女が首を振ったように感じた。
「私は、そういうふうに育てられてきたんです。食べるものや着るもののことは考えずに、ただ『女神の娘』として女神を賛美するように。私にとっては、歌うことや舞うことが、他の人が畑を耕したり家畜の世話をするのと同じように、労働でした。とても、大きな喜びを伴う労働でした……」
 神殿で学んだ……と言っていたから、きっとそこで暮らす、女神と人との橋渡しの役目を持っていたのだろう。ハイネの世界にはいたるところにオルテツァの息吹が感じられたから、神のおわす殿と言われてもいまひとつぴんとこないのだが。
『いいよ、あんまり自分のこと役立たずだなんて言うものじゃないよ。ええと――』
「サリティナ。サリティナ・シリアです」
『サリティナ。ティナって呼んでもいい?』
「ええ、どうぞ」
『縫物とか料理ができないからって、そんなに悲しそうな声出さないで。女神に仕えることは、誰にでもできることじゃないんでしょ。ティナはきちんと自分の務めを果たしてたなら、それでいいよ。悪いのはティナじゃなくて、激変した環境じゃないの? 今までそういう環境にいなかったんだから、歌ったり踊ったりする必要がなくなったからっていきなり自分は何もできないと思うことないでしょう』
「そう……でしょうか」
 どうしてだろう。サリティナを励ましてやりたいのに、依然彼女の声は沈んだままだ。事情を知らずに、ぺらぺらと喋りすぎただろうか。
「あなたにそう言っていただけて、とても嬉しい。多分、ほかにもそう言ってくれる人はいると思うんです。だけど……誰よりもまず私自身が、それを信じることができないから」
 ようやく回復してきた視界でサリティナの手を探り、握り締めた。小さな手だ。巨人の子供よりもなお小さい。それが誰かを思い出させて――目の奥が熱くなった。ここには巨人はいない。誰も彼もが子供に見えてしまうというのに、いちいち彼女を思い出していては生きていけない。
 そうは思っていても、ハイネは忘れることができなかった。
『どうしてこんなに冷えてるの』
 青ざめた顔を正面から見つめて、ハイネは言った。
「……私のために、たくさん人が死んだから。私が守ってあげなければならなかった小さな子まで、死んでしまったからです」
『そんなの……私だってそうだよ』
 自分たちは、理由はわからないがオルテツァに唯一生かされた者だ。
 世界を――背負っている。こうしてユギリアイナの――彼女の故郷とは別の世界へ来て、別の世界の人間と触れ合って、それを知った。そしてそれはサリティナも同じはずで、自分にとってのディスタと同じような存在がいようといまいと、その細い肩にかかる重みは相当なものなのだった。



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