サイト案内螺旋機構「太陽の迎え子」目次 / 前頁次頁



慈水の民の章、二
 集落に入り込んだよそ者が行き倒れている、という話だった。
 その知らせを聞いてリオとユアスが出て行ってしまうと、ノアは山の中で拾った大男、フィーダルとともに小屋に残された。つくづく無用心な親子――もちろん、留守をねらって小屋を荒そうなどとは考えていないが――だと思う。あれでよく水晶域の生き残りを束ねているものだとあきれてしまうが、リオとその息子ユアスには不思議な魅力が備わっているとノアも思う。彼らについていけば大丈夫だという思いが、胸の中でじわじわと湧き上がり、とうとうこんなところまで来てしまった。
 自分にもフィーダルにも他に行くところはない。それは確かだけれど、ノアは自分を拉致したのがユアスでなかったらあの場で舌を噛み切って死んでいたかもしれないと思う。
 ユギリアイナの――リオとユアスが言うには水晶域の守護、オルテツァの神剣と神殿内の聖域とは、彼女にとっては命を賭してでも守らなければならないものだった。かつて守れなかったからこそ、次同じようなことがあれば何としてでも村への被害は防がなくてはならないと思っていた。
 そのようなことが起こってしまうのは、きっと自分に原因があるのだから。
 危険を承知で自分を歌姫に選んでくれた集落の人々のためにも、命をもってあがなうべきだと思ったのだ。
 けれど、ユアスはそんなノアを有無を言わせぬ調子で連れ去り、生きようとする意志を奮い立たせてしまった。おせっかいな人間だと思うが、怒りは湧かない。ノアはただ自分の変化にとまどうばかりで、周りの激流に揉まれるようにしてようやっと生きているような状態だった。
 多分、もう死んでしまおうとは思わない。
 彼が息絶えたとき、身体の一部を持っていかれたように感じはしたけれど、自分は残りの部分だけでもやっていけている。おそらくこれから、自分はもっともっと自身の一部を失うことになると思うけれど、最後のひとかけらが持ち去られるまでは動いていられるだろう。
 悲しいほどの決意で、ノアは窓の外を見た。
 フィーダルは硬い寝台に横たわり、死んだように眠っている。彼の傷の状態を知っているノアは、いつ彼の呼吸が止まってしまうかと考えると恐ろしかった。今はまだ苦しげではあるが深い呼吸をしている。しかし医療の心得などかけらもない自分だけで、彼の急変に対応できるだろうか。手当てをしたのは、リオとユアスだ。
 とんでもない怪我をしていることからもわかるが、彼も相当わけありのようだった。お世辞にも平和的とは言えない面差しと鍛え上げられた大きな体躯は、ノアの知らない――むしろ、嫌悪していた部類に入る人間のものだった。
 もちろん、同じ親子に拾われた者同士、親近感を覚えてもいる。けれど、この言葉の通じない、おかしな人間はいったい何者なのか――――。
 寝台の上、フィーダルのこめかみがぴくりと動いたような気がした。大きな手のひらで目を覆っているから起きたかどうかはうかがえなかったが、その直後に腹の底から搾り出すような低い声がした。
「そこに誰がいる?」
「……はい? 言葉、通じないんだけど」
「ノア、か?」
 返答した言葉が、自分を四人の中で唯一の女だと知らせたらしい。名前だけが聞き取れて、ノアははっきりと肯定の言葉を返した。
「そうだよ。どうしたの、痛む? ええと……つらい?」
 立ち上がり、自分の身体を押さえてみせる。フィーダルが怪我をしたあたりだ。フィーダルはそろそろと手を動かして目を開き、架空の傷をおさえてぎゅっと目を瞑るというこっけいな姿のノアを見た。
「いいや……そうじゃなくて」
 言いよどむ内容が、なんとなく感じ取れた。ノアは首をかしげ、彼の寝ている寝台の足のあたりに腰掛けた。
「まあいいや。そんな大きな怪我だもん、人の気配がそばになきゃ不安なんだね」
 彼女にも、そんな時期があった。子供が大切なものを手放したがらないように、大切な人がいつも見えていないと不安だった。
「何かしゃべっててあげるよ。どうせ、言葉はわからないんだもんね。……あたしは、こう見えても神殿で巫女のまねごとやってたんだよ。ユギリアイナの豊穣の祭で、女神に捧げる歌をうたってた。従姉の、シアっていうのが舞姫で、本当にきれいだったな。本当なら、今日がその祭の日」
 フィーダルはやはりわからないようで、怪訝そうに瞬いた。
「昨日の夜、あたしとシアは潔斎に入ってたんだ。誰とも口を聞かずに、女神に祈り続ける夜。だけど神殿に賊が入って、儀式に使う神剣を盗み出した。神殿に侵入したのがあのユアス、リオは村の近くに潜んでたみたいだったな。それで、あたしはそれを追いかけてきたっていうわけ。ユアスとリオのことを怒ってるわけじゃないよ、神剣を村に戻さなきゃっていう気持ちもあんまりない。……多分、あたしはもう村には戻れないな。近くに死体が転がってるなんてことでもなきゃ、賊の手引きをしたと疑われても無理はないんだ。シアもそうだと思うと、それが一番つらいけど」
 所詮、自分は自分の背負うべきなのかもしれない罪の重さを直視できずに逃げ出してきた臆病者だ。
 ノアはその思いを拭い去ることができなかったし、忘れたつもりでいてもきっといつまでも胸の中に巣食ったままだろう。
「あたしは逃げてきた。ユアスとリオは取り戻しにきた。……あんたはどうなんだ」
「俺は……」
「あんたはあたしとは違う、きっと。あたしが多分いちばん弱い」
 フィーダルはよろよろと身体を起こした。寝ていなくていいのだろうかと思いつつ、ノアは彼の背中に手を添えてそれを手伝った。
「本当に平気なわけ? あんた、何がしたいの」
「今すぐできることなんて、何もない」
 ノアは顔をしかめた。さっぱりわからない。
 フィーダルがゆっくりと首を振り、たどたどしい口調でリオに習ったのであろうノアの言葉でしゃべり始めた。
「いもうとを、さがしてる」
「……妹?」
「親が、おなじ。女、年下。……妹、だろ?」
「うん、そりゃあそれは妹だろうけど。その妹が、このあたりにいるの?」
「は?」
「このあたり――近く」
 ノアは両手で広い円を描く。
「いる?」
 フィーダルは難しい顔で首をかしげた。言葉が通じていないかとも思ったが、違うようだ。
「いる――ない」
「いない、っていうの」
「いない、かもしれない。いるかもしれない。――俺はどうして、自分があそこに倒れてたのかわからないから」
 後半は意味が理解できなかった。けれどフィーダルの妹探しというのが相当無謀なものだということはわかる。いるかもしれないし、いないかもしれない。――こんなに無茶な探索があるだろうか。第一、この近くにはノアの知る限りリオたちの集落しか人里はないのだし、リオたちが水晶域の一族の生き残りというきわめて特殊な出自の人間であることを考えると、ここの人々は皆「隠れ住んでいる」ということになる。あんなところで倒れていた重傷のフィーダルは、命を落としていてもおかしくない状況にあったのだ。
「怪我が治ったら、探しに行くつもりなんでしょ?」
「さがす……ああ、リオにも、たのんだ」
 ノアはフィーダルの目を覗き込んだ。睡眠はある程度とったはずだがやはり疲労の色が濃い。そこに狂おしいほどの焦燥を見てとって、視線をふれあわせた部分が焼け付きそうな錯覚を覚える。
 本当に妹なのかと疑ったのに根拠はない。けれど、これほどまでに熱い感情を妹に向けるものだろうかと、ノアはそう思ったのだ。かつて彼女が持っていたのと同じ、身を焦がすような衝動的な視線を。
「見つかるといいね、妹」
「ノアと、おなじくらいの年で……ツルギの色の、短い髪の毛」
 慣れない言葉で懸命に説明するフィーダルに向かって笑みを返し、ノアは立ち上がった。
 小屋の外からあわただしい足音――そして、勢いよく扉を開ける音。
「フィーダル!」
 ユアスが小屋の奥のフィーダルに向かって叫んだ。怪我人相手に乱暴だ。
「来い、父さんが呼んでる」
「どうして……」
「髪の毛の短い娘が、倒れてたって」
 フィーダルは寝台から飛び降りようとして脇から床へ倒れこんだ。すんでのところでその巨躯を支え、ノアは顔をしかめて咳き込んだ。
 ふれあった部分から彼の高まる鼓動が伝わる。目が異様な興奮に光っている。
――妹かも、しれない。


 小屋の扉を、派手な音を立ててあけた。中では奥の寝台の傍らに立ったノアと、あれほどの怪我だというのに上半身を起こしたフィーダルが驚いたような視線を向けている。
 そう、彼は怪我をしているのだ。
 そんな状態で父の言ったとおりの要求をすることははばかられたが、今回ばかりはやむをえない。フィーダルにとっても悪い話ではない――つまりは彼が求めていた少女かもしれない人間が見つかったということで許してもらおう。
 ユアスが早口でそのことを告げると、フィーダルは血相を変えて立ち上がった。床にどうとばかりに倒れそうになったのをノアが支え、扉のところまでやってくる。
 ユアスはノアとフィーダルを追い出し、扉を閉めた。錠前などという気の利いたものはない。ここでは、それでことたりるのだ。
「本当に、そんな都合のいいことがあったの?」
 フィーダルの気を紛らわせるために話をしていたというノアは、彼が探している人物のことも了承しているらしい。ユアスに向かって、ちょっと顔をしかめながら問う。
「確かに、ありえない話だと俺も思った。こんな山奥に、はなればなれになったフィーダルの妹が倒れてるなんてさ。だけど、髪の毛は短いし、誰かを探してるふうだったし、それに何より、言葉が通じないから」
「言葉が? それなら決まりだよ。フィーダルの妹だ」
 ユギリアイナの導きかと思ってしまうくらいの偶然だが、まず間違いあるまい。
 さすがに走れはしないようだが、逸る気持ちが透けて見えるようなしぐさで前を行くフィーダルを見てユアスは思った。
 しばらく歩くと前方に薄汚れた小屋が見えてくる。そこはしばらく使われていなかった穀物小屋だが、少女が倒れていた場所に一番近い、屋根のある建物だった。少女を見つけた老婆と青年がそこへ彼女を運び込み、青年が集落の長であるリオに知らせに走る間、老婆が少女の面倒を見ていたのだ。
 小屋が目に入った瞬間、フィーダルは走り出そうとするかのように足をもつれさせた。当然、弱った身体にそれは無理な相談だったが、彼の顔に浮かんだ祈るような表情をユアスはしっかりと目に焼き付けた。
「リーシャ!」
 聞いたことがない名前を叫びながら、フィーダルは扉に体当たりするようにして中へ入った。荒い呼吸で、老婆の横で食事をしている少女に歩み寄る。
 少女が目を見開いて立ち上がり、フィーダルの名前を呼んだ。濃い色の肌と鋼色の髪の毛をした、ユアスと同じくらいの年恰好の少女だ。彼女は今にもフィーダルに抱きついて泣き出しそうな表情を見せたが、どうやら傷のことは知っているらしく控えめな抱擁をしてすぐに離れた。
「わけがわからねえ話だな」
 ユアスとノアが兄妹のように連れ立ってリオの隣に立つと、父はきつねにつままれたような顔で呟いた。
「何が?」
「あいつらだよ。フィーダルと――さっき叫んでた名前はどんなのだ、リーシャだったか。ふたりが兄妹だってことはわかった。だけどな、妹のほうはあいつの傷がどこにあるか、どれだけのものか、知ってるみたいじゃないか」
「そう……かも」
 いたわるような静かな抱擁には、確かにそれが感じられた。
「だけど、それならあいつらが別れ別れになってからそう時間が経ってないことになる。フィーダルの怪我は手当てされずに放置されてたんだからな。俺たちがあいつを見つける数時間前に、あいつらは一緒にいたんじゃないのか?」
「俺に言われても知らないよ」
「それなら、あいつが俺たちに拾われて、妹が集落で行き倒れてたのもうなずける。少し前まで一緒にいたんだから、近い場所で倒れてても不思議はない。だけどあいつらは、どうして離れ離れになっちまったんだ?」
「さあ……」
 確かに不思議な話ではある。けれど、ここでいくらそれを議論していたところで答えは出ない。フィーダルとリーシャ、当人に聞いてみなければわからないのだ。
 フィーダルが妹の肩を抱いたままこちらを振り向き、リオに言った。
「ありがとう。……見つかった」
「俺は何もしてねえよ。その子がひとりでここにたどり着いただけだろ」
「だけど、俺のこと拾ってくれたから。リオたちがいなきゃ、死んでた」
 ほう、俺とノアも数に入れているわけか、とユアスは思った。僻むわけではないが、フィーダルの感謝の対象は専らリオであった。
「……まあ――とりあえず、ここは出て俺のところへ行こうじゃないか。婆さん、ありがとな。その中身、もらってもいいか? あとで一度寄ってくれよ」
 少女を見つけた老婆は、ユアスもよく知る人だった。後の掃除を老婆とその孫に頼み、彼らは小屋を出た。
 緊張の緩んだフィーダルが地面に崩れそうになるのを、少女とリオとで支える。表情は蒼白で、いまさらながら彼が酷い怪我人であることを思い知った。あんなに走り回ったのだから、傷が悪化しても不思議はない。
 五人はそこで寝起きしている住人よりずっと多い人間を受け入れさせられた小屋に帰り着くと、一様に疲れた顔でめいめい座り込んだ。リオとユアス、親子ふたりの寝台で、怪我人ひとりと緊張で蒼い顔をしている少女ひとりが眠りに落ちた。


 二日後の夜、ようやくフィーダルが起き上がった。驚くべきことに、動けるという。傷はまだふさがってはいないが、とりあえず危険な状態は脱したようだ。
 フィーダルとは違って二日経っても言葉を理解できないリーシャを側に置き、フィーダルはぽつりぽつりと自分たちの置かれた特異な状況を説明し始めた。
「まず、俺が理解できないのは、ここにユギリアイナがいることだ」
「……女神が」
 水の女神、ユギリアイナは命の源である存在だ。なぜそれに違和感を覚えるのか、ユアスにはそちらのほうが理解できなかった。
「俺たちが住んでいるところには、トラリフーシャがいた。それ以外の神を感じることはなかった。けれど、ここにはユギリアイナが『いる』」
「そりゃあ少しおかしいぞ。水の太陽があって、命が育まれた。ユギリアイナがいるのは当然のことだし、今トラリフーシャがいるわけがない。いるとしたら、それは……」
 リオは空気を見つめ、顔の右半分をしかめて黙り込んだ。ユアスにも、父が何を言いたいのかおぼろげながら察せられた。
「参ったな……トラリフーシャの民ってのは『鋼』だぞ? どうして、こんなところにいる? いやそうじゃない、トラリフーシャを感じてたってことは、お前たち雨の太陽の下にいたんだな? どういうことだ……」
「……あんたたちは、鋼の民じゃないのか?」
「あたりまえだ」
 リオは言葉少なく言って黙り込んだ。重苦しい沈黙が落ちる。父が、今この場の年長者として、できるかぎり異邦人の兄妹を不安にさせない言葉を選んでいるのは明らかだった。
「雨の神に属する人間じゃあない……その妻のユギリアイナ、水の神……」
 雨の太陽は滅んだ。
 鋼の民は死に絶えた。
 ユアスはそれを知っている。しかし、不用意に口に出すことはできなかった。フィーダルが難しい顔でリオをじっと睨み、それから呟いた。
「なあ、あんたたちが知ってることは何でも言ってくれて構わない。俺は自分たちが今いる場所を把握して、その安全を確かめたい。それだけだ」
「だけどな、フィーダル……」
「俺とリーシャの最後の記憶は、大洪水だ。雨の太陽がはじまりに降らせた大雨よりもまだひどいような雨だった。……トラリフーシャは退場した。雨の時代は終わったんだ。そうだろう?」
 この男は、何もかもわかっている。自分の故郷がまるごと時計盤の上から消し去られたことも、知人たちが過去の伝承の登場人物になっていることも、すべて知っているのだ。
 それなのにこの、悲嘆の感じられない口調はどうだろう。彼らは太陽を持たない、少数の民であるリオやユアスと同じく、太陽の創造神を崇めない生活をしていたのだろうか。
「今は、トラリフーシャが雨の世界を消し去ったあとの時代、水の太陽の時代だ。鋼の民のことは話には聞いたが、もちろん実際に見たことのある人間はいない。……なるほど、お前たち鋼の民か」
 浅黒い肌に頑丈な体躯は、確かに鋼の民の特徴だった。ユアスは今まで、フィーダルやリーシャのような肌を持つ人間を見たことがなかったのだ。
 なぜ雨の世界の住人である彼らが今ここにいるのか、それは何よりの不思議であるはずだったが、ユアスはそれを追求する気にはならなかった。リオもノアも、それは同じであるようだ。彼らはただ傷ついた異邦人であり、できるかぎり彼らの力になってやるのが自分たちの役目なのだ。
「……俺たちは」
 フィーダルは泣き笑いのような形に顔をゆがめ、傍らの妹に何ごとかささやきかけた。少女が呆然と宙を見つめている。
 彼らが何を言い交わしていたのか、ユアスにはわからなかった。しかし、フィーダルとリーシャがなにごとかを喜び合っているのは確かに感じ取れたのだった。



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