サイト案内螺旋機構「太陽の迎え子」目次 / 前頁次頁



風の太陽の章、二

 ハルヴァはサリティナ・シリア巫女の言葉を思い出し、難しい顔で考え込んだ。
――ディアはとても優秀な人です。いつも神殿の全体を見回して、状態を把握しています。……疲れたとき? そんなときは……裏の石山に登るのだと聞きましたが――
 ディアという巫女姫からは、かすかな死臭がした。兄に付き従って戦場にも出ることの多いハルヴァだからこそ感じ取れた、血の匂いに象徴される死。
 彼は、巫女姫が巫女達の失踪に関わっているのだと思っている。それを知ったら、サリティナは……あの、優しい巫女は心を痛めるだろうが、それでも彼の役目は巫女の失踪の謎を解き、犯人を捕らえて都まで連行することだ。
「シャグ、明日の予定はどうなっている?」
「はい? そうですね……、午前中に巫女長と面会です。午後は何も予定はありません。シリア巫女の舞の授業がありますが、いかがなされます?」
 妙に楽しげなシャグの言葉に、ハルヴァは長椅子に寝転んだ。ここにはシャグの目しかない。久しぶりに、羽を伸ばせるような気がする。
「どうしてサリティナに拘る?」
「おや、拘っているのは殿下の方でしょう?」
 しれっとうそぶいたシャグに、ハルヴァはかすかに顔をしかめ、
「どういうことだ」
「別にどうということもありませんが。それで殿下、舞の授業は見学されますか」
「……おまえに任せる」
 するとシャグは嬉々として、
「では、午後は殿下は授業の見学ということで」
「……何がそんなに嬉しい?」
 やや閉口気味にハルヴァが尋ねると、シャグは興奮した口調で言った。まったくもって、わけの分からない男だ。
「あの堅物の殿下が、シリア巫女に興味を示されたんですよ? これが嬉しくないわけがないでしょう」
 ハルヴァは首を傾げた。興味を示した覚えもないし、自分が堅物であるという自覚もない。サリティナはそんな下世話な話の種にされるような少女ではないし、シャグの言葉は不敬罪ものだ。
「私は堅物などではない」
「堅物ですよ。もう二十二だというのに、恋人を作ったこともないとは!」
「しょうがないだろう。都の女は仕様もない者ばかりだ」
 都の貴族の女性達ときたら、男が養ってくれるのが当たり前のような顔をして、次々と高価な宝石や衣類を欲しがり、きちんと自分を保てず、少し責められるとすぐに泣き出す。泣けば、夫や恋人を思い通りに出来ると思っているのだ。
 そんな女性が、ハルヴァは嫌いだった。
「仕様もないって、いつもの貴婦人のことですか」
「そうだ」
「シリア巫女がそうではないという確信があるのですか?」
「シャグ!」
 身を起こし、声を荒げたハルヴァに、シャグは言い過ぎを悟り頭を下げた。
 サリティナは優しすぎる。が、それは決して悪いことではないのだ。優しい人物というのは、芯も強いものだ。
 しかし、やはりサリティナを恋愛対象として見ているのかと聞かれると、それは違う。彼は、いつかは――おそらくそう遠くないうちに――都の貴族の娘を娶らなければいけないだろうし、巫女――しかもそう位の高くない中位巫女であるサリティナなど、もとから選択肢にないのだ。
「神殿の巫女について、あまりあれこれ言うものではない。私達は陛下の命を受けてここへ来たのだから」
「はい。承知しています。すみませんでした」
 ハルヴァは満足げにうなずくと、長椅子から立ち上がって着替えを始めた。もう夜も深い。都ではまだまだ宴もたけなわの時間だが、キリサナートーに仕える巫女の集う神殿は、もう静まりかえっている。
「おやすみになりますか」
「そうする。いつもどおりに起こしてくれ」
「こんなときくらい、ゆっくりなさればよろしいのに」
 シャグの言葉に、ハルヴァはそっと苦笑した。
「こんなときだからだ。うるさいことをいう奴はおまえしかいない」
 ハルヴァは倒れこむように寝台へ上がり、シャグが灯りを消して出て行くのを見守った。


「先生、今日の午後は舞の稽古ですよね?」
 リフィナの言葉に、サリティナは小さくうなずいて詳細を伝えた。生徒達の中で一番年長で、優秀なリフィナは、彼女が何か言う前に連絡事項はないか確認に来てくれるのだ。
「ええ、今日は鏡の間で行いますから、皆にそう伝えておいて。忘れ物をしないように。あと、奏楽者を一人決めておいて欲しいの」
「私でよろしいですか? もう課題は終わりましたので」
「あら……リフィナはすごいわね」
 素直に感心して言ったサリティナに、リフィナは理知的な目を細めて微笑んだ。
「ありがとうございます。ところで先生……昨日の授業は、少しいつもと様子が違っておられたような気がするのですが」
「どういうこと?」
「どうと言われると答えられませんが……少し、声が固かったような気がします。それに、二階の回廊に巫女姫様と、お客様らしき人がいらっしゃいました」
 自分などよりもずっと全体を見渡しているリフィナの言葉に、サリティナは改めてリフィナを見つめた。本当に、優秀な巫女だ。歌も舞いもそつなくこなす。いつかリフィナは巫女姫、巫女長と呼ばれるところまで上り詰めるだろう、とサリティナは予測した。リフィナは地位を望むような少女ではないが、周りが放っておかない。
「ごめんなさいね、ええ……少し緊張していたの。他に、お客様に気づいている子はいた?」
「いえ、今のところは私だけのようです」
「そう……練習に支障をきたすといけないから、黙っていてくれる?」
「分かりました。では、失礼します」
 リフィナは最後に連絡事項の確認をし、静かに退室して行った。


「あ……」
 舞の稽古を終えて教官室に戻ったサリティナは、そこで待ち構えていた人物に驚きの声をあげ、思わず扉の柄から手を離した。扉がゆっくりと閉まっていくのを呆然と見つめていたが、すぐに再び中から扉が開いた。
「どうしました?」
「え、あの……殿下、どうしてここにいらっしゃるのでしょうか……」
 ハルヴァはそんなサリティナに向かって晴れやかに――なぜそんなにも爽やかな表情をしているのだろう?――笑いかけた。
「いけませんか?」
「いえ、そんなことはございませんが……あの、舞の稽古もご覧になって……」
「はい、見ました」
 なんでもないかのように答えたハルヴァに、サリティナはぎゅっと目を閉じた。昨日の歌の稽古に引き続き、舞まで見られてしまったのだと思うとたまらなく恥ずかしい。ただでさえ、舞は得意ではないというのに。
「申し訳ございません、お目汚しを――」
「そんなことはなかった。とても美しい舞でした」
「そんな……」
 入り口に立ち尽くすサリティナを、昨日と同じようにハルヴァが椅子に座らせようとした。驚いて首を振る巫女に、やんわりと脅しをかける。
「あなたが座らないと、私も立ったままになってしまいます。女性を立たせておくのは犯罪ですから」
「そうは言われても、わたしはこのままで……」
「いえ、座ってください」
 ハルヴァは強固に首を振り、サリティナの腕を掴んだ。
 同時に、サリティナが怯えたように後ずさりした。失敗した、という思いが胸をよぎる。しかし、これほどまでに臆病な少女だとは思ってもみなかったのだ。
 サリティナのように、極端に男性に慣れていない人間というのはどこにでもいる。特に表向き俗世から切り離された女神の神殿の住人ならばなおさらだ。それを、忘れていた。
「すみません……」
「私が怖い?」
 気分を害した様子もなく首を傾げたハルヴァに、サリティナは力をこめて首を振った。
「違います! 殿下は立派な方です。でも……申し訳ございません……」
 ハルヴァに背中を押されたサリティナが椅子に座り込む。
 顔色が良くないのを見て、救護の者を呼ぼうかとも思ったのだが、ただ緊張しているだけなのだろう。
「男が苦手ですか」
「苦手というか……」
 あまり男性と接したことがないし、殿下のような身分の高い御方とお話するのも初めてです、とサリティナが囁いた。
「私の身分はどうでもいいのです。巫女はあらゆる俗世の権力と無縁の存在ですから。私はむしろあなたに敬意を表しているつもりです」
「困ります。殿下のお考えは分かりましたが、わたしのような者にまで気を遣うのはおやめになってください……」
 ハルヴァは溜息をついてサリティナの向かいに座り込み、
「では、昨日の続きを聞かせてもらってもいいでしょうか?」
「そのためにいらっしゃったのですか?」
「そうです」
 ハルヴァが興味を示していたのは、主に上位巫女達のことだった。なぜ自分に聞くのだろうと不思議に思ったサリティナに、ハルヴァは言った。
――あまり多くの人と接触したくありませんし、ディア殿は同じ上位巫女のことですから言いにくいこともあるでしょう。
「わたしは……本当に、あまり多くのことを知らないんです。ディア様から伺ったことくらいしか……。それに――」
「分かっています。口止めされていることは無理には聞きません」
 最初にそう言っておかないと、サリティナのような純粋な娘は上位巫女と太陽王の弟の間で板挟みになる怖れがある。
 サリティナはほっとしたように微笑んでうなずいた。女神に仕えるのがぴったりな、清らかな姿だ。都のきらびやかさには見ることの出来ない、清楚な美しさ。それも、すべての巫女が持っているというわけではない。都には、金のために巫女の力を売る堕落した巫女もいるのだ。
「ディア殿とは、付き合いが長いんですね?」
「はい。故郷が同じで――家がお隣だったんです。小さい頃から、本当によくして頂いていました」
 ハルヴァは、少し意地の悪い疑問を持った。サリティナは、幼なじみの少女が若くして上位巫女になったことに、妬みを感じないのだろうか?
 しかし、サリティナがそんな少女ではないことは分かっている。
「ディア殿は、随分と早くに巫女姫になったようですが――」
「はい。でもとても気さくで、今でもわたし達のところに遊びに来てくださいます。ディア様はあまり苦手なものがないようで――虫が出ると、ディア様を呼んで退治してもらうんです」
「虫?」
「はい」
 そういえば、昔どこかで女の子は虫が嫌いなのだと聞いたような気がする。
「皆、逃げ回るばかりで……いえ、一番ひどいのはわたしなのですが……」
 なぜか申し訳なさそうにサリティナは言ったが、そういった少女らしさもまた魅力のひとつに数えられるものだ。恥じることはないと、ハルヴァは思う。
「あ……申し訳ありません、巫女姫様方のお話ですよね」
 サリティナがふと手を打った。そのまま目を伏せて、ゆっくりと話しはじめる。
「どこまで話せばよろしいでしょうか……」
「ディア殿から、巫女の失踪の話を聞いていませんか?」
 ハルヴァの穏やかな言葉に、サリティナの水面のような瞳が動揺を示した。
「ご存知ですか……?」
 ハルヴァ達は、その調査のために神殿へやってきたのだと聞いている。
「はい、ディア様にお聞きしました」
「何か知っていることがあったら教えてください。……あなたの生徒で、行方不明になった人は?」
 サリティナがゆっくりと数えるように指を折った。
「いいえ……いません。行方不明となると……」
「行方不明となると?」
「はい。里帰りした巫女はおりますが――」
「――そうか……」
 密かな情報源としてサリティナに期待していたハルヴァは、わずかに肩を落とした。
 サリティナはそんなハルヴァにおずおずと、
「あの……下位巫女は、見習いでなくとも皆揃っております。失踪するのは、中位巫女以上の者だけです」
 参考になればよろしいですが、とそっと言って、サリティナは立ち上がったハルヴァを見上げた。
「……ありがとうございます、サリティナ。では、また見学にうかがわせてもらいます」
「え……殿下……」
 内心もういい加減にしていただきたいと思って泣き出しそうなサリティナに軽く礼をとると、ハルヴァは静かに退室した。
 サリティナは慌てて扉の前へ駆け寄り、高貴な客人を見送った。


 都からの客人達が神殿に滞在して、もう七日が過ぎた。
 ハルヴァは結局毎日サリティナの授業を見学に来ている。その熱心な姿が一部の下世話な人間達の噂の種になることはあったが、それはシャグがうまく対処しているらしい。
 サリティナは忙しさに紛れて――なぜか授業の後にはいつもハルヴァが教官室を訪れていた――、巫女の行方不明のことも忘れていた。ディアともしばらく会っていない。そのかわりなのかどうか、巫女長に呼ばれたときが一度あった。なぜだか分からないが、とても優しい言葉をかけられたような気がする。
 本当は哀しいのに、無理して笑っている人が嫌いだ。
 つらいのに、それを表に出さない人が嫌いだ。
 信頼されていないのかと、怯えてしまう。
 ハルヴァにしても、リフィナにしても。あんなにがんばっていてつらくないわけがないのに、どんなに打ち解けてもサリティナにそれを打ち明けてはくれない。
 ディアとサリティナの、故郷での共通の友人。彼女は二人が巫女の素質を持っていると知ったとき、サリティナ達を追うために必死で歌や舞の稽古を積んでいた。
 努力はつらいことだからこそ尊い。
 それでも、自分を壊してはいけない。それくらいなら、努力なんてしないほうがいい。
 彼女は、天性の素質を持っていたディアとサリティナに追いつけず、足を折っても舞い続けていた。
 その記憶が染み付いて離れない。
 巫女になっても、何もいいことはない。ただ、理想とかけ離れた、どろどろとした現実があるだけだ。最近のサリティナは、それを特に考えるようになっていた。
 どうして、一人でがんばっていたの?
 どうして、相談してくれなかったの? 慰めさせて、くれなかったの?
 どんなに哀しくても、苦しくても、歳月が経てば忘れてしまうものだから。だから、共有したかったのに。
 もう忘れたはずのことを思い出したサリティナの目から、涙が溢れそうになる。――巫女になってもいいことなんてないの……
「――――先生……、気分でも悪いんですか? 先生」
「レリア?」
 サリティナは目の前で屈んだ少女を見つめて、不思議そうに問い掛けた。
「はい。レリアです。どうしましたか? 気分でも……」
「何でもないの。……どうしたの? 点呼? 室長はリフィナだったはずよね?」
 室長という立場に関わらず、生徒達とサリティナとの橋渡しはすべてリフィナが行っていた。レリアとは、今までに数えるくらい話をしただけだ。
「ナーネの姿が見えなくて……リフィナは、それを探しに行ったんです。でも、二人ともだいぶ時間が経ったのに帰ってきません」
「どうしたのかしら? ナーネの様子に、おかしいところはなかった?」
 巫女の失踪のことばかりが頭を通り抜けていく。自分が責任をかぶるのも怖いが、生徒の一人が欠けてしまうかもしれないという恐怖が膨れ上がってサリティナを追い詰める。
「何もないようでしたが……。リフィナがいったんここに来ませんでしたか?」
「見ていないわ。どうしたのかしら、リフィナが何も言わずに行動するだなんて、珍しい……」
 リフィナはいつでも状況を判断し、自分の手におえないと分かったらすぐに周りの人間に助けを求める、体面に拘らない賢い判断が出来る少女だ。そんなリフィナが、サリティナに無断でナーネを探しに行き、時間が経っても帰ってこないというのは妙な話だった。
「じゃあ、警備の人にリフィナとナーネを見なかったかどうか聞いてみます。あなたは戻って。リフィナの代理をお願いするわ。皆を寝かしつけてちょうだい」
「はい。……本当に、大丈夫ですか? 先生、少し顔色が悪い……」
「大丈夫。巫女姫様にも知らせてくるから」
 心の中ではたまらなく不安だったが、サリティナはレリアに向かって淡く微笑んだ。こういったときの自分の笑顔が、人を安心させる力を持つらしいということには、うすうす気づいていた。


「助けて! 誰か、早く来て! 誰かいないの? 早く!」
 リフィナは声を振り絞って助けを求めた。
 彼女の巫女服は血で濡れていた。暗がりから飛び出してきた殺傷能力を持つ刃に斬られた友人の血を浴びたためだ。
 彼女も、危うく命を失うところだった――否、ナーネはまだ生きている。
「誰か! ナーネが死んでしまう!」
 傷口からは血が溢れて止まらない。なんとか応急処置を施そうとしながらも、真っ赤な胸は傷口のありかすら分からないほどに濡れていた。
「ナーネ、痛い? 平気? 誰かを呼んでくるわ、すぐに帰ってくる」
 リフィナは立ち上がって薄暗い廊下を走り始めた。なぜだろう、不気味なくらいに静まり返って、こんなときに限って誰も人がいないのだ。
「誰か来て!」
 リフィナは前方だけを見据えて角を曲がった。誰か、大きな人影と衝突する。それが誰かを確認する前に、リフィナは叫んだ。
「こっちへ来て! ナーネを助けて!」
「……誰だ?」
「早く来て! 私は巫女見習いのリフィナ、ナーネが死にそうなのよ!」
 どうにか相手の言葉を聞き取り、リフィナが自らの肩書きを名乗る。
「死にそう……って、どういうことだ?」
 その人間――ハルヴァは、リフィナに手を引かれながら早足で進みつつ尋ねた。
「何かに斬られたの、出血が多いわ。早くしないと、死んでしまうかも――」
「斬られた?」
「そうよ、とにかく来て!」
 リフィナは、身体が覚えている記憶だけを頼りに元来た道を戻っていった。錯乱しているように見えて、きちんと冷静に助けを求めている。あのまま自分があそこにいても、ナーネは助からないと判断したのだ。
「あなたはどちら様? 警備の人ではないのでしょう?」
「ハルヴァ」
 わずかに落ち着いてハルヴァに目を向けた少女に、ハルヴァは短く呟いた。少女の混乱が、どこか遠くのことのように感じられる。
「ハルヴァさん? 分かりました。ナーネが……斬られたわ、どうしてか分からないけれど……私では何も出来なかった。応急処置は出来ますか?」
「一応は」
「よかった……」
 だからといって安心できる状況ではないのだが、やはり少しの心強さを覚えてリフィナは微笑んだ。
「――ここです、ナーネ? 大丈夫?」
 リフィナが角を曲がって屈みこむ。
 そして――鋭い悲鳴を上げた。
「ナーネ!?」
 そこには――血の池以外には、なにものも存在していなかった。
 しかし、少女の衣服についた血の量から見ても、そこに重傷を負った人間が倒れていたのは明らかだ。
 血溜りを残して忽然と消えうせた少女の痕を眺めて、ハルヴァは蒼白な顔で考え込んでいた。



サイト案内螺旋機構「太陽の迎え子」目次 / 前頁次頁

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送