人形の向こう

 広大な深藍の宇宙。
 そこに存在するのは、豊かな資源に恵まれた支配者達の水の星。
 そして隔絶された苛酷な環境のもとに日々喘ぐ砂漠の民が住む、火の星。
 その地表の焼け爛れた小さな惑星は、別名を『罪人流しの地獄』といった。

 ◇

 水の星と火の星との間に、友好関係は一切ない。水の星の豊かな人間は一方的に不毛の惑星を支配し、社会不適応者の溜まり場としての価値しか認めていない。火の星の人間が水の星の者と知り合ったり結婚したりすることはまったくなく、その点で火の星の人間はいくら糸を手繰り寄せても宇宙全ての人間とつながることは出来ないのだ。水の星からは火の星に官僚が派遣されるが、それはいわゆる左遷職であった。
 火の星には、水の星からの罪人が厄介払いされてくる。つまり、火の星の治安の悪さは必然的に宇宙一ということになる。下は窃盗犯から上は死刑囚ぎりぎりの強盗殺人犯まで、火の星には様々な人間が集まってきていた。彼らはいつの間にか重罪者を頂点とした組織を作り上げ、火の星土着の人々を脅かしていた。住民もそれを水の星の役人に訴えはするものの、軍事力に裏付けられない権力しか有さない人間に再び犯罪を繰り返そうとする者達の排除が出来るわけがなかった。
 火の星は文字通り灼熱の太陽に焼かれた、地表全体を砂漠に覆われた惑星である。人々はわずかなオアシスにしがみついて暮らし、猫の額ほどの土地を耕して収穫を得、職人技を身につけた者は水の星に工芸品を輸出して生計を立てていた。貿易以外の水の星との交流は皆無だった。
 しかも、商人達も水の星の大地を踏むことは許されず、貿易は全てシャトル内で行われる。
 宇宙の片隅で、文明と切り離された業火の地。それが火の星に対する水の星の人間の認識だった。火の星の人間達は彼らに従う存在だった。
 そんな支配体制の中に、一人の人形師がいた。

 火の星の民は、長い歴史の間に本来の住民よりも罪人の末裔のほうに、数において凌駕されるようになったという。彼、水の星に工芸品を輸出することで生計を立てる、人形師のレアルクも、きっと犯罪者の血を引く男なのだろう。
 レアルクの家は職人としての誇りを頑ななまでに高らかに掲げ、農業に携わる人と交わらず暮らしていた。彼の人形作りは父から教わったものだが、父も火の星の民の中でも比較的豊かな人々、職人の家から細工師の女性を嫁にした。
 父の指導は厳しかったが、今ではレアルクの人形も水の星に向けて出荷出来るまでになっている。いつものように朝からずっと人形の身体を前に細部まで作り上げていたレアルクは、自分だけの仕事場に一人の客人を迎えた。
「…アルサ? どうした、こんなところで遊んでいていいのか? 次の船に間に合わなくなるんじゃ…」
「大丈夫よ。あなたこそ、あまり拘りすぎると、気がついたらシャトルが出ていたなんてことになってしまうわよ。自分の納得のいく作品を作るのは、経験を重ねて金銭と時間に余裕が出来てからと言うでしょう?」
「その前に、面倒なことが待っているね」
「なあに?」
「結婚して、子供を作る。それからその子を一人前に育てるんだ。僕が隠居できるのなんて、いつになるか――」
 ガラス職人の家に生まれたアルサは、溜息をついてレアルクに指を突きつけた。彼女も既に父親に認められた職人だ。
 ガラス製品も人形も、水の星では機械生産をすればいくらでも生み出せる。貧しい環境にあって機械の一つも導入出来ないことから始まった職人達の技が、貴重な収入源になるなど皮肉なことだ。
 レアルクは目を見開いてアルサの指を見つめ、首を傾げた。
「分かってないわね、あなた、今年でいくつになるの」
「二十四だったかな…」
「そんなだから、いつまでたっても隠居出来ないなんていう見通しが楽々立ってしまうのよ。どうせ私達は集落の中から適当な相手を見つけて結婚するしかないんだから」
 アルサの紛れもない正論にうなずいたレアルクを、少女――今年、ちょうど結婚適齢期を迎えるアルサは、先ほどのものよりもさらに盛大な溜息をついてにらみつけた。
「…とにかくね、あなたは遅いわ。鈍いわ。そのこと、分かってるの?」
「分かってるつもりだよ。アルサ、それをわざわざ言いに来たの?」
「違うわ。渡したいものがあるの」
 アルサは小さな弟を見るようなあきれた表情を隠そうとせずに、背中に下げていた袋から慎重な手つきでガラスの細工物を取り出した。
「はい、これ。あげるわ」
「…? どうして? 試作品、それとも失敗作?」
「そんなわけないでしょ。誰にも聞かなかったの、今、異なる種類の工芸品を組み合わせて水の星に輸出しようっていう話が出てるの。実験に、私も参加してるのよ。すぐにとは言わないから、それを人形と一緒に仕上げて。どういうふうに使ってもいいから」
「そんな話、聞いてない」
「そんなの、若いくせして一日中ここにこもりっきりのレアルクが悪いんでしょう? 私も最近は忙しくて、ろくに様子を見に来られなかったし…ちゃんと、ご飯食べてるの?」
 父や母とでさえ交流の途絶えがちなレアルクは、定期的に彼のもとを訪れるアルサに生活面でのカバーをしてもらっている。たとえば食事、そして宇宙の情勢。火の星の民は決して水の星の支配に甘んじているわけではないが、いかんせん経済力、ひいては軍事力の不足は深刻で、ただ水の星に対しての不平不満を小規模に爆発させるだけにとどめている。
「食べてるよ。そうでなかったら、今ごろ生きていないからね」
「レアルクの場合、作りかけの人形を置いて死ぬことは決してないでしょうからね。その執念はたいしたものだわ」
 アルサは、忙しいという言葉どおり、それだけを早口で言ってレアルクに背を向けた。最後に首を後ろに曲げて一言。
「私はあなたの通信機じゃないのよ。たまには外に出て情報収集も楽しいものだわ」

 レアルクはアルサが取り出した透明なガラスの塊を、少しばかり埃の積もった窓から差し込む光に透かし、感嘆の声をもらした。
 いつもながら、彼女の腕は素晴らしい。彼の本職は人形師であるから、ガラス製品の良し悪しは見た感じで決めるしかないが、強い個性と光を放っているようでいてどんな調度にもしっくりと溶け込む繊細な柔らかさを持っている。「異なる種類の工芸品を組み合わせる」とは何のことなのか分からないが、レアルクはとりあえず木の椅子に座っていた完成間近の人形と再び向かい合った。
 陶器と布で出来た、若い少女の人形。黒髪は火の星産の合成繊維で作られている。青い瞳はアルサの父に譲ってもらったガラス玉、衣服も集落の職人が織り上げた砂漠の民族衣装だった。火の星の工芸品の中でも、人形は大きく、完成までに時間を要する。一つ一つの部品も、レアルクの知り合いに依頼して作ってもらわなければならない。しかしそんな手間をかけた人形も、水の星との取引のときには不当としか思えない値段でしか買い取られない。火の星の生活水準からすれば少なくない金額がレアルクの手に残るが、水の星に奉仕するしか生活の術がない地獄の人々はそんな取引に憤りを隠すことが出来ない。
 アルサの持ってきたガラス細工は、薄いガラス板の組み立てられた小さな箱の中に、手のひらにすっぽりと収まる水色の珠が固定されているものだった。まるで水の星を模したような珠は、アルサの憧れを示しているのだろうか。
 レアルクはふと思い立って奥の台所へ入ると、わずかな水を汲んで戻ってきた。砂漠の広がる火の星では、水は何よりも貴重なものだ。
 そっと、箱に水を注ぐ。ガラスと、水とを通して、光がいっそう輝きを増して珠を照らした。
「綺麗だな、アルサのガラスは…」
 レアルクは人形の膝の上にガラスの箱を乗せ、白い血の通わない手をそれに添えた。
 水色の珠は部屋の天井を映し出し、小さな、しかし確固たる世界を内包する。
 うっすらと砂の積もった戸口を見やって、レアルクは顔を翳らせた。火の星は地獄だ。『罪人流しの地獄』、生まれたときから水の星に支配される人々。
 彼はそれを受け入れているつもりはない。
 限りなく完成に近い状態にある人形を凝視して、レアルクはうっすらと微笑んだ。

 ◇

 シャトルの発着場は水の星の人間が管理するものであり、品物を納めに行く職人達も遠目で白い機体を眺めたことしかなかった。彼らはいつも発着場の入り口で商人に魂の欠片を込めた作品を手渡す。
 レアルクも例外ではなかった。彼の思う姿勢に固定した人形を、そのままの形で梱包し、慎重な手つきでそれを運搬する。シャトルに搬入してしまえば絶対の安全が確保されるが、地面には柔らかい砂が広がっているとはいえ落としたり倒したりすることは出来ない。
 アルサはそんなレアルクの後ろ姿を認めて、小走りに駆け寄ると彼の背中を叩いた。
「アルサ」
「あなた、いつにも増して陰気な顔してるわね。どうしたのよ」
「…もう、嫌だな」
 ふうっと息をついて囁いたレアルクに、アルサは顔をしかめて、
「どういうこと? 嫌、って――」
「人形を出すのが…」
「馬鹿ね、だったらどうやって生活していくっていうの? 私達の存在意義は工芸品を生み出すこと、それでしょう? あなたの人形は、水の星で高い評価を獲得しているわね。それが不満なの?」
 アルサでなくとも口にすることは出来たであろうその言葉に、レアルクは激発寸前の感情を押さえつけて少女から目を逸らした。
「水の星に評価されなければ、生きていくことも出来ないんだ」
 絞り出した声音に、アルサが首を傾げる。
「水の星の人間に、生かされてるんだよ。どんなに手元に置いておきたいと思っても、生きるためには売らなくてはいけない。あんな、惑星の環境に恵まれただけの人間に。職人としての生を全うするためじゃなくて、ただ本能的な飢えと渇きを満たすために人形を作るんだ。こんな馬鹿げた人生、もう嫌だ…」
 水の星の人間が極端に少ないとはいえ、支配者たる水の星への反逆ともとれる発言は慎むのが慣習だった。農民よりも安楽な暮らしを守る職人達に嫉妬する人間は、いくらでもいる。そして彼らが役人の耳にレアルクの言葉を入れるようなことがあっては、今後レアルクの人形は取引対象から外されるだろう。今のレアルクの様子からいって、それでも構わないのかもしれないが。
「だから、早く隠居できるような身分になりなさいって言ってるの。良い父親をしていれば、きっと子供が養ってくれるわ」
「僕は親孝行はしていないけれどね…」
「今のことは忘れるわ。あなたも、今後一切そんなことを口にしては駄目。分かった?」
「――分かった…けど。アルサはいいの? 僕は人形を手放したくない。本当は、手放したくなんてなかった。ずっと手の届くところに置いておきたかったよ。今だって」
 アルサが注意を促した矢先の言葉に、ガラス細工の若い職人は首を振って、
「黙りなさい、レアルク・セイドール。これ以上言ったら精神異常者として連れ帰るわよ」
 アルサが、レアルクを思って厳しい制止をしたのだということは分かっていた。
 しかしレアルクは、平静さというものを手放してしまっていたのだ。
 ある意味でアルサとの合作と言える少女の人形を完成させ、その瞳を覗き込んだ瞬間から。

 レアルクは水の星との仲介役の手に彼の技術の粋を集めた人形を渡しかけ――最後に、澄んだ青い瞳を見つめた。生のない、人造物の目。しかし何よりも美しい。人形は誰をも傷つけない、美しい存在だ。そうでなければ、誰が人間を模倣しただけの固い塊を作ろうとするだろうか。
 商人の横には、水の星の役人が一人立っていた。いわば、監視役と言った役どころの男は常に不機嫌そうな光を目にたたえている。
「レアルク・セイドール、品番72464−F3の等身大人形です。壊さないように、よろしく」
「いつも世話になっているね。君の人形は水の星でも評価が高い」
「そうですか」
 気のない返事に、役人はレアルクを睨みつけ、追い払うように手を振った。その日のためだけに雇われた男が人形をシャトルの入り口まで運んでいく。レアルクはその男の辿った道をしっかりと記憶に焼きつけ、そっと身を翻した。
 あの美しい、誰よりも綺麗な人形。水の星の人間などに渡すことはできない。絶対に渡さない。その思いで身が焼け焦げてしまいそうだった。恋慕といってもいいくらいの思いを人形に注ぎ、人形師としての本懐とも言える狂気に支配される。
 あるいは、アルサはそれを感じ取っていたのかもしれない。ずっと、昔から。その頃からもうレアルクは人間離れした浮世に身を置く少年だった。
 レアルクは広いシャトル発着場の裏手に回り、電流塀を巧みにくぐりぬけて敷地内へ入り込んだ。まさか火の星の人間がこんな大それたことをしでかすとは考えもしない水の星の建設業者は、電流塀の工事を杜撰に終えて公共の金をせしめていったのだった。
――待っていて、僕の美しい人。
 夢みるような足取りで砂を蹴るレアルクは、目の前に現れた警備の人間の頭を殴って昏倒させ、奥へ奥へと進んでいった。
 輝く銀の機体、水の星の権力の象徴であるシャトルを目指して。
 彼の大切なものを取り戻し、それにふさわしい場所――即ち水の星で暮らすために。

 ◇

 父とともに帰路につくアルサの背筋に悪寒が走る。
 砂で埋もれた道路に膝をついて頭を垂れた娘に、父は尋ねた。
「アルサ、どうした?」
「お…父さ…ん、気分が…」
「困ったな、どうする、レアルクの家で休ませてもらうか」
 アルサが倒れた場所から程近い青年の住まいを提案すると、アルサは咳き込んで顔を上げ、父に取り縋るようにして立ち上がった。
「きっと…レアルクよ。戻りましょう、お父さん。…お願い、発着場に…戻っ…」
 怪訝そうに眉をひそめた父親に、アルサは叫んだ。
「戻って!」
「アルサ…」
 父はアルサの身体を支え、ゆっくりと身体を反転させた。シャトルの、火の星唯一の宇宙との連絡手段が存在する場所へ。彼は娘の並外れた直感を疑うことはしなかったし、レアルク・セイドールは青年が生まれたときから付き合いのある息子同然の人形師だ。レアルクの父親との交流も頻繁で、アルサとレアルクもお互いを小さな頃から知っている。
 特にアルサの勘はレアルクに関して外れたことはなかった。彼女が危ないといえばそれはレアルクの危機を意味した。今も…地面に倒れ伏すほどの衝撃をアルサが受けたのであれば、それは何か重要な事態の発生を意味する。
 火の星の住民は、文明の発達しすぎた水の星の人間からは及びもつかないような業を持っている。業火の惑星で彼らが生き延びられたのはそのためだ。
 アルサが自分の足で立ち、歩き始めようとしたそのとき――――
 その場からも見えたシャトルが眩い炎を放って、大音量の爆発音を撒き散らした。

 アルサは父の手を振り払って発着場へ駆け出した。間違いなく、あそこにはレアルクがいる。
 火の星の民ならではの健脚を発揮し、アルサは発着場までの距離を驚くほどの短時間で駆け抜けた。水の星の役人が少女を制止するが、アルサは冴えない中年の下級官僚を突き飛ばすと一直線にシャトルの残骸を目指した。
「レアルク! レアルク、どこにいるの? レアルク・セイドール、出ていらっしゃい!」
 年齢は七つも離れているが、常にアルサはレアルクに対して姉のように振舞ってきた。生活力がないくせに両親から独立して暮らすレアルクは彼女がいなければ餓死してしまいそうな有様で、アルサに対して立場が弱かった。
「レアルク!」
 声を振り絞りながらシャトルが生み出す炎の周りを一周する。そんなアルサの耳に、細い声が飛び込んだ。
 それは懇願でもなく救助の要請でもなく、ただ何かを伝えようとするように。
「アルサ…」
「レアルク? どこ?」
「アルサ、来て…」
 アルサが耳を澄まして声を辿る。レアルクは思ったとおりと言うべきか、爆発に巻き込まれて今にも全身を炎に包まれそうだった。
「レアルク、何やってるの! そんなところにいたら危ないでしょう」
 アルサの叱責にレアルクは痛みあるいは熱さに耐えながら笑った。
「うん…ごめんね、心配かけたんだろ。アルサ、これ、壊れちゃったんだけど――」 
 レアルクが引き寄せたのは、彼の作った人形だった。側に、アルサが提供したガラスの箱が転がっている。
「そんなものどうでもいいわ! 立てる、レアルク?」
「立てない」
 あっさりと言ったレアルクにアルサが泣きそうに顔をゆがめた。
「駄目よ、立つの。立ちなさい、レアルク」
「無理だよ」
 まず、足がやられている。脇腹にも何か刺さっている。左腕が動かない。それらを淡々とレアルクはアルサに告げた。そして、だから立てない。
 アルサだけ逃げて、と。
 その言葉に、アルサは怒りを爆発させた。
「立ちなさい! 許さないわ、そんな弱音を吐いて! 人間心臓と脳が動いていればあとはいくらでも再生できるわ、レアルク、立ちなさい。立って、立ってよ!」
「…再生できるのは、水の星の人間だけだよ。ここでは無理だ。アルサ…この爆発がどうして起こったか、分かる? シャトルには、水の星の戸籍を持っている人間と商人しか乗れないからだよ。僕が乗ろうとした瞬間に、シャトルは爆発した。馬鹿げてると思わない? 火の星の人間は、いつまでたっても宇宙には出られないんだよ…」
「――どうして、そんなことしたのよ。シャトルに、なんて…どうして乗ろうとしたの!」
「言ったよね、人形を渡したくなかったって…。彼女は今まで見た中で一番綺麗な人だった。火の星の生命力が生んだ奇跡のようだった。僕は…彼女と一緒にいたかった。いつまでも、ずっと…水の星で。彼女には、こんな地獄じゃなくて、水の星がふさわしいから」
 アルサが静かに泣き出すのを見ても、レアルクは表情を変えなかった。それが無性に悔しくて、アルサはガラスの箱を投げ捨てた。
「人形のために、密航しようとしたっていうの…?」
「そうだよ」
 平然と肯定するレアルクの腕を抱えて、アルサが囁いた。
「あなたは馬鹿よ、信じられない…」
「信じてもらわなくても、いいよ。僕の望みは彼女と水の星で暮らすこと、それだけだった」
「こんなの、動かない、喋らない、命のない人形じゃない。そんなもののためにレアルクが死ぬなんて、私…」
 アルサがレアルクの顔から目を逸らしたのを感じ、レアルクは目を閉じた。
 アルサを哀しませるだろうな、というのが、彼の最後の歯止めだった。それにも関わらずこんな愚行に及んでしまったのだ、もう自分に残された道は死のみであろう。
 それを境に、レアルクの意識は闇に沈んでいった。

 ◇

 レアルクは決して柔らかくはない寝台の上で目覚めた。見慣れない天井、しかし覚えはある。おそらくアルサの家の客間だ。すると、自分はアルサに助けられたのだろう。
「――アル…サ」
 レアルクはまだ節々の痛む身体を起こし、憮然とした表情で入ってきたアルサを見つめた。
「起きたのね。あのまま死んじゃわないで本当によかった」
 そう言いながらも表情を緩めようとはしないアルサに、レアルクがおそるおそる尋ねる。
「怒ってる…?」
「その質問に対しても、怒りをぶちまけたいわね。私が怒ってないとでも思ってるの? あんな無茶な真似して、水の星の人間に見つかったら殺されてたわ」
 しかしそんなアルサにも怯む様子を見せず、
「そうだね」
 自分の命に重さを感じていない、あっさりとした口調で言って、レアルクがうなずく。
 アルサは青年の着替えと食事を傍らのテーブルに置き、背を向けて――しかし部屋を出ようとはせずに立ち止まった。
「馬鹿ね…」
 アルサの立ち姿から目を逸らし、レアルクは椅子に座った人形、あちこち焼け焦げ、煤に汚れた少女を見た。側に、布の上に散らされたガラスの破片。
 人間で言えば火傷の跡は数多いものの、人形の本体はまったく損傷を受けていなかった。二つの青い瞳はあいかわらず澄み切って宙を見つめている。水の星を見ているような感覚にとらわれる。
 しかし――――もはやそれは、命のない壊れた人形だった。
 破損したシャトルの部品、レアルクにとってその程度の価値しか持たないような、冷たい塊。
 レアルクはよろめきながらも立ち上がり、精魂込めて作り上げた人形の前に跪いた。
 二つのガラス玉を見上げる。彼の意識が飛んでしまうまで確かに生命をたたえた美しい瞳だったものは、今光を弾くガラス玉としてレアルクの前に存在していた。
「どうして…?」
 レアルクが呟くと、アルサがゆっくりと振り向いた。肩が震えているのに、そのときはじめて気づく。涙を拭って近づいてくるアルサと人形を見比べて、レアルクの視線が移動した。
「アルサ、泣いてるの?」
「ええ、泣いてるわよ、あなたがあんな馬鹿なことするから! なんなの、何を守りたかったの? そんなに水の星に行きたいの? ガラス細工くらい、いくらでも作ってあげるわよ。でもあなたがいなくなったら、肝心の人形はいつまでたっても私のところに来ないわ。やめてよ、私の前からいなくならないで。人形がどこでも作れるなんて思わないでよ。ここにいてよ、地獄なんかじゃないわよ、ここは…」
 新たな涙を溢れさせるアルサが、レアルクの焦げた袖を握り締めた。
 この人がいなくなったら、何もつくれない。何をしても完成しない。ガラスは割れてしまう、割れてしまう――私の心が。
「あなたが…いれば。地獄なんかじゃないわ。どうしてそれが分からないの? 私よりも人形が大切なの? 何よ、水の星なんかに…!」
 アルサが椅子の上から人形を薙ぎ払う。環境の劣悪な砂漠の星、それでも何より大切な故郷にかわりはない。そして、何より大切な人。その存在は星を、心を潤し…人々を目覚めさせる。
 レアルクは床に崩れ落ちた人形を寂しい瞳で見下ろした。
 哀れとすら感じる命のない身体。彼が作った、彼の犠牲になった少女。
 自分は何を見ていた?
 少女の人形の向こうに、水の星を見て、癒しを見て、自由を見て――――
「アルサ…」
 最後に気づく。
 アルサを、見ていたのだ。
「アルサ、ごめん…ごめんなさい」
「…え、何?」
「ごめん、アルサ、僕何も分かってなかった…」
 子供のようにうなだれたレアルクの頭を、アルサがそっと抱え込んだ。
「いいのよ、これくらいのことがないと、あなた絶対に気づかなかった」
 何が大切なのか。
「僕はずっとアルサを見てた」
 人形に、アルサを重ねていた。
「水の星で暮らしたかったんじゃなくて…」
 アルサの側で、暮らしたかった。
「ありがとう…」
 アルサが立ち上がり、レアルクの手を引いた。
 二人は部屋を出た。残されたのは、壊れた人形。見えなかったもの、脱ぎ捨てなければいけなかった考えの象徴だった。

 ◇

 まもなく、水の星から新たなシャトルが運ばれてきた。火の星の人間には必要のないものだが、わずかに砂漠に足をつけて暮らす水の星の者はシャトルが視界に入らないだけでどうしようもなく不安になるらしい。
 そして火の星の民の中で、ある小さな波が起こる。
 長い間の支配にやっと抵抗を覚える気力が見つかった。そう確信した人々は、水の星の罪人、使いようによっては狂戦士並みの強さを見せる人間を巧みに戦力として扱い、シャトルを占領して火の星を抜け出した。
 一機のシャトル、火の星最初のシャトルを操り、最初に宇宙へ頭を出したのは一人の人形師――レアルク・セイドール。彼は水の星とは名ばかりの辺境惑星からシャトルを奪い、砂漠の星に帰還する。
 その後も火の星の力は次々に増大し、ついには水の星に対等な外交を認めさせるまでになる。

 レアルク・セイドール、たった一人の瞳に魅せられた人形師は、火の星独立という大きな渦の中心で、揺るぎない大地を踏みしめていた。
 彼の傍らには常にアルサという名の女性が寄り添い、二人は決して倒れることがなかったという。

  ‐END‐


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