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Thank you for the Music (番外編)

 ――― 恋の病 長患いの予感 ―――
(後)

「それにしても……本当に、そっくりですね」
 驚いているようにはとても見えない、おっとりとしたリルイースの言葉に、ジェフは憮然として頷いた。蜜のように甘い金髪と深い色の碧眼はそっくり、しかも顔立ちの優美さまで――性別が違うというのに――似通っているのだから恐れ入る。
 ジェフと同い年の弟がひとりいる、とは聞いていたが、ここまで自分とかけはなれた少年だとは思わなかった。ファラディールと名乗った少年はシャルと並ぶと一対の人形にして飾っておきたいくらいに線の細い容貌をしている。
 姉弟なのだから似ていたとしても不思議はないのだが、予想を裏切るファラの顔立ちにジェフはくらくらとする頭をおさえた。
 シャルとファラ、この姉弟がどんな顔で畑に出て土まみれになっているかと考えると、どこかがおかしくなりそうだ。
「母親もこんな顔ですよ。フィレットの本家からもらってきたのかな」
 その顔のおかげでさまざまな恩恵をこうむってきたシャルが、たいした感動もなしに言い放った。おそらく、目の前に積まれている菓子のほうが大切なのだろう。
「……シャル、食べすぎじゃないの?」
「あんたに言われたくないわ。あんた、食べても食べても太らないんだから」
 栄養は吸収しないと意味がないのよ、と顔をしかめ、ファラの腕を小突く。ほほえましいように見えるが、ファラが緊張していることは見てとれた。それは姉でもなく、同い年の少年でもなく、優しげな風情のグラバートの使用人でもなく、ほかでもない御曹司がもたらしたものである。
 見かけによらずたくましいらしいファラは、シャルがしてきたようにひたすら故郷から都まで歩いてきたのだという。シャルと違って彼の場合、両親から宿代や食費をもらっていただけましというところか。
 疲れているのではないかとジェフでさえ気をもんでいると、リルイースが立ち上がってにこりと笑った。
「ファラさん、お疲れのようですから夕食までお休みになったらいかがですか。シャルさんのお隣に、部屋を用意しておきましたが」
「あ……はい、そうします」
 ぎこちなく頷き、ファラはシャルの袖をつかんだまま立ち上がった。腕を宙に引かれたシャルはむっとした顔をしたが、菓子のくずを皿に払うとおとなしくファラの隣に立ってやる。
 ファラはシャルよりもずっとこころが繊細なようだから、ようやく会えた姉にしがみついて離れられなくても仕方ない。彼の反応こそが普通で、居候の身でありながらこんなに態度の大きなシャルが異常なのだ。
 ジェフはもういいかげんおもちゃのようにかわいらしい菓子にも飽きていたのだが、シャルがいなくなっても主の息子がいる以上勝手に席を立つわけにはいかない。
「……いったい、シャルの弟が都に何の用なんでしょう」
 大きな溜息をついてジェフが呟くと、気さくな主アルディランは金の頭ふたつを黒い頭ひとつが先導していくのを確認してから言った。
「まあ、観光ではないだろうな」
「そうですね――そうでなくても、この季節に農家の息子が家を出てくるなんて」
 ジェフは畑に出たことはなかったが、それくらいのことはわかる。
 けれど、その忙しい時期にあえてファラが都へのぼってきたとなると、用件はよほどに重要なものであると推察される。たとえば、シャルはナタリー・ウィンズが劇場をやめてすぐに『都で結婚することにしたのでもう家には戻りません』などというふさけた手紙を出していた。故郷の両親は到底黙っていられないだろうから、姉のシャルに懐いているファラを使いに出したのかもしれない。――可能性は、高い。
 だとしたら、ジェフにとってはおもしろくない展開だ。シャルが都に執着する理由の半分ほどはジェフにあり、『結婚する』という娘の手紙を受け取った親が気にするのは相手のことだ。ファラはまさかおまけのように座っていた若い使用人が姉の相手だとは思わなかっただろうが、もしかしたらいまごろ問いただしているかもしれない。
「ちょっと都合の悪いことになってきたかな」
「そうだな、あの子もなかなか強情そうだったから」
 繊細な顔立ちに似合わず、目にはそんな色をした光が宿っていた。ジェフはそれを思い出し、うんざりと溜息をつく。
 リルイースに先導されて出て行ってしまった背中も、まるでファラに奪われてしまったような気持ちがして。


 シャルはもともとは客間だったはずの自室へファラを連れて行き、小さい頃から姉に甘えてすごしていた自分には通じないだろうとわかっているはずなのにめいっぱい険しい顔をして向かい合った。ファラは姉のシャルに似すぎていたために女の子とよく間違えられていた小作りな顔をしかめ、落ち着かない気分で辺りを見回した。
「すごい部屋だね」
「そうよ。レイルシュもすごい人のところに世話になってるのね。わたしだって、都に来たばっかりのときは驚いたわよ」
 こんなに華やかできらきらしくて、夢のような空間が存在していいものかと思った。田舎では見たこともないような美人だともてはやされていても、都にあってはそれはすすけた色合いにすぎなくて、このきらびやかな空気の前では色あせてしまう。
 そんなことを言って、シャルは微笑んだ。その顔は故郷にいたころよりもずっときれいになったとファラは思う。
「でも、今ではすっかり慣れてるみたいだ」
 姉との距離を感じて、ファラは口を尖らせる。都は彼が思っていたよりもずっときらびやかで、華やかで、少し気後れてしまっていたのだ。もちろん、この屋敷だって似たようなものである。それに何の違和感もなくなじんでいるらしいシャルが、少し憎たらしかった。
「まあ、長いこと暮らしてるからね。今ではレイルシュよりも、リルイースさんとかジェフと一緒にいることのほうが多いくらいだし。レイルシュね、今忙しいのよ。この秋に王宮付属の研究院に入れるかどうかの審査があるんですって。そこに入ればここに居候しなくても自分で住まいを持てるだけのお給料がもらえるし、きっとお嫁さんも見つかるだろうですって。――顔も性格も育ちもそこそこいいのに今まで誰とも縁がなかったのが、それくらいで結婚できるものなのかしらね。あんた、本家から何かお話を持ってきたとかじゃないの?」
「ちがうよ」
「じゃあ何よ」
 足を高々と組んでこちらを見つめる姉に、ファラは「あの用件」を単刀直入に尋ねようかどうしようかと迷いながら気になっていたことを注げた。
「シャル、どうしてここの若様と仲がいいの」
「どうしてって言われても……若様とは、レイルシュだって仲がいいわよ。むしろ、レイルシュと若様のほうが話が合うんじゃないの?」
 ファラは言われてもわからない。
「わたし、そんなに頻繁に若様と顔を合わせてるわけじゃないしね。あのね、あの方はおまけみたいなものなのよ。……ああ、こんな言い方しちゃいけないか。あの方にとって、わたしとファラはおまけみたいなものなの」
「……どういうこと?」
「若様はね、黒髪のあのきれいなひと――リルイースさんがお気に入りなのよ。リルイースさんはわたしが都に来たときからずっとわたしの世話をしてくれてるから、あ、でも今では自分のことは自分でやるわよ、それで今回もお給仕をしてくれてたわけよ」
 あのひとが同席するのはいつものことだから気にしないで、とシャルは言う。
「わたしとリルイースさんが話す機会が多ければ、必然若様とわたしが顔を合わせることも多くなるってこと。あそこにリルイースさんがいなかったら、若様は顔なんて見せなかったわ。あんた、あたしもだけど貴重なものを見たのよ。グラバートの若様だもの」
 リルイースという、使用人の中でも重宝されていそうな――というより、今の説明から屋敷の若主人にかわいがられていると知ったのだが――まだ若くてきれいな人は、ファラがあの三人の中で一番好意的な感情を持っている人だった。姉も十分美しいが、リルイースにはさらさらとした漆黒の髪の毛といい、穏やかで優しげな双眸といい、控えめで儚げな態度といい、人を安心させるような要素がこれでもかというほどに備わっていたからだ。
 反面、精悍だがどこかのんきそうな表情をしたグラバートのアルディランという若君と、自分と同じくらいの年齢だろうジェフという少年は気に食わない。どこがどう――と言われてもファラにはわからないのだが、なんとなく好かないのだ。
 ファラはもっとも気になっていた重要事をとうとう口に出した。
「じゃあ――あの、俺と同じくらいの子は?」
「ジェフ?」
 あざやかな青い目を軽くみひらいて、シャルは短いその名前を呼んだ。その表情があまりにも幸せそうで、嬉しそうで、ファラは驚くとともに悔しいとも悲しいとも思える思いをする。
 自分が抱いた危惧はやはり現実のものだったのだと、思い知らされて。
「ジェフはわたしの一番大切な人よ。手紙に書いたじゃない、彼と結婚するって」
 彼と、とは書いていなかったが、そんなことをあげつらっている場合ではない。
 本当は、ファラにはすべてわかっていたのだ――ジェフという名の少年が、今までファラがシャルの心の中で占めていた位置を根こそぎだいなしにしてしまい、それよりもさらに大きなものを奪っていってしまったことなど。
 そしてまた、ジェフも自分とそう変わらない年齢ながら真摯にシャルを想い、かけがえのない恋人として愛していることも。
 けれど彼は、それが鮮明にわかってしまうからこそ悲しかった。生まれてから今までずっと彼は姉が大好きだったし、姉もそうなのだと思っていた。軽やかな姉の歌声は彼女が都へ行ってしまってから一度も聞いておらず、シャルがひどく遠いところの住人になってしまったように感じる。
 自分に姉を束縛する権利はないし、弟と恋人の場所はシャルの中では明確に区切られているのだとはわかっている。けれど自分の場所がなくなってしまったような気がする。シャルはいまや、ファラのことなどどうでもいいのだという気になってくる――。
 自分によく似た顔を盛大にゆがませたファラを見て、シャルは慌てたように何度か瞬いた。ファラが座っているほうの長椅子に移動し、同じ色をした頭を何度もくりかえし撫でてくれる。
「あんた、泣きそうよ。いったい何が悲しいの」
「だって、シャルが……」
「……わたしが? わたしが都になじんでるのが悲しい? それとも、ジェフがいること? 結婚するって言い出したこと?」
 ファラはシャルに指摘されてはじめて自覚した涙をこらえながら何度もうなずいた。それらすべてのことが、彼にはつらくてたまらない。
「全部、だよ。どうして、どうしてシャルは都で暮らすなんて言うんだよ。母さんたちだって反対してる。畑のことだってある。俺は帰ってきて欲しいよ、都で苦労するより、普通のくらしをしたほうが幸せじゃないか!」
「わたし、苦労してないわ。家に戻らないのは悪いと思ってる、一度戻って母さんと話もしてみようと思ってる。だけど、わたしは都で暮らすの。都で結婚して、子供を生んで、歌うたいだって続けるわよ」
「苦労してないのがいけないんだろ!」
 ファラはシャルの腕にしがみついて叫んだ。ほっそりとした腕――そして柔らかな手のひらと細い指。以前のシャルは、こんな手の持ち主ではなかった。畑に出て自分でも泥まみれで働いていたから、その手はすこし硬くて健康的なものだった。
 彼女はまだ若いから、土を離れて一年もしないのに手は生まれたての赤ん坊のように滑らかなものに戻っている。これが母だったらこうはいかないだろうとファラは思う。
「こんなのだめだよ、シャルは歌で身を立てるって言ったのに、見にきてみたらそんな様子がないんだから! レイには学問を修めて王宮で働くっていう目標があったし、それが実現しそうなのに、シャルはこんな立派なお屋敷に居候して、遊んでるだけじゃないか!」
「……何よ、それ」
「本当のことだよ、見ればわかる」
「わたしは――暮らせるわ、都で。ジェフがいるなら苦労したってかまわない。彼と苦労するなら本望よ。ジェフはわたしの田舎に行くわけにはいかないわ、だからわたしが都にいなきゃいけないの、ねえファラ、わかるでしょう?」
 シャルの声がひどく動揺する。姉がファラの前でこんな姿をさらしたのは初めてと言ってもよく、ファラはわずかに指先をふるわせた。
「それだったら、どうしてここを出ないんだよ。自分の食い扶持を自分で稼いで、あの子と立派に暮らしてみせなよ。それができたら、俺だって何も言わない。母さんたちだって説得してあげるよ」
「……あんた、ずいぶん難しいこと言うのね」
「難しくないよ、シャルが自分でできるって言ったんだ」
「そうね……」
 シャルは長い睫毛を伏せて二三度瞬き、ゆっくりとうなずいた。
「できるわ」
 シャルができると言ったことは、必ずやりとげられる。ファラはそれを知っていたし、そんな姉を信じていた。
「それにしても、ファラがこんなこと言うようになるなんてね。……いいわ、やってみようじゃないの」


 その夜、クリューと彼の母親の店でうたったシャルは、グラバートの屋敷に帰ってすぐにジェフの部屋を訪れた。弟の相手はおそらくリルイースとそのおまけ、アルディランがしてくれているはずである。
 金髪の房をくるくると指にからめながら、シャルは狭い部屋に一脚だけ置かれた椅子に座って微笑んだ。
「わたしね、今日ファラに言われたわ」
「何を?」
「帰ってこいって。あたりまえよね、あの子からしてみたらわたし、ただ都でふらふら遊んでるようにしかみえないもの」
 故郷を出たときの志のように歌で身をたてているわけでもなく、目標としていたナタリー・ウィンズが都を去ってからは歌といえばクリューのところでうたうくらいだ。
 安穏とした暮らしに慣れて、ぼんやりと日をすごしているように見える――ファラに指摘されるのももっともだ。彼女自身、そう思っているのだから。
「わたし、何がしたいのかしらね。ナタリー・ウィンズみたいな歌い手になろうとはもう思わない。マリセラ・スールみたいに教会でうたいたいわけでもない。――でもほかに、わたしの歌を生業としてたかめられる場所なんてないわ。わたしはジェフがここで働いてるみたいに、ちゃんと自分で暮らさないといけないのに――」
「そんなこと、話してたのか?」
 ジェフは少し顔をしかめた。
「別に、シャルは歌で稼ごうなんて思わなくたっていいんだ。俺がグラバートからいただく分でじゅうぶん暮らしていけるはずだし、俺はそれでかまわないと思ってるよ」
「じゃあどうして、わたしたちここにいるの? 食べるものにも着るものにも不自由しないで、まるで用意しておいたおもちゃを使ってままごとしてるみたいに! ここが嫌なわけじゃないの、でもここの暮らしに慣れて外に出ていけない自分はいや」
 外で暮らしたいわ、とシャルはささやいた。あまりに幼稚な生活は、だんだんと彼女を弱くしていく。
 自分たちはまだ幼いが、ふたりが食べていけるだけのものは生みだすことができる。外に出て暮らすのに、何の不都合もない――――。
「外に出ましょうよ」
「でもシャル」
「出ましょう、どうしていけないのよ。わたしはあんたと一緒にいるのよ、実家には戻らないわ。ジェフがいないと、わたしどうなるかわからない。起き上がれなくなる。病気なんだわ」
 彼女はめったに酒がすぎることはないが、今日は少し酔っ払ったような口調だと自分でも思った。
 寝台の端に座ったジェフの、動揺したように瞬く目をじっと睨む。病気――そう、それが一番正しい。彼女が意地を張る理由、ときどきわけもなく不安になる理由、すべての鍵を握っているのはこの少年で、彼がいなければシャルにとっては妙薬をとりあげられたのと同じことなのだ。
 彼がいるから彼女はここにいる。ジェフがいる場所ならば、この広い都のどこで暮らしたっていいのだ。ジェフが屋敷で働いているから、シャルもその世話になっているだけで。
「……いいよ、ここを出ても」
 部屋を与えられたばかりのジェフは、薄い壁にもたれてうなずいた。
「ここを出て、ふたりで暮らそう。クリューのところの近くに家を見つけて、シャルはそこから通えばいい。どんなに狭くたっていい、シャルがいるならどんなところだって」
 照れたようにうっすらと笑いながら言うジェフの隣へ、シャルは移る。肩から静かに抱き寄せられて、目を閉じる。
 彼は成長した。
 出逢ったときよりずっと大人になった。手が大きいし、背も伸びた。弟のような少年ではなく、たよりがいのある恋人へと変化を遂げた。
 この想いは、一生消えない。
「結婚しよう」
 まぶたの裏側を熱い涙が満たした。もうすぐ零れてしまうと思って、シャルはひくくうたいだす。
『永遠の約束』に詞をつけた、とうとうと流れる時のような歌だった。

 たぶんこの病は、死ぬまで癒えることがない。
 けれど一番の薬である人が、いつでも隣にいてくれるから。
 今日の恋の病は夜には癒え、また朝陽とともに新たなよろこびがやってくる――――



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