腕の中の天使
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(4)

 首元を飾るレースには淡い桃色が乗っており、アナベルの白い肌を鮮やかに彩っていた。首から下がる金鎖に、ジェイルを経て南国からもたらされた紫の宝玉が揺れる。
 アナベルの双眸と同じ色をした丸い珠を指先で弄りながら、アナベルは口をとがらせた。
「リル、ぱっぱっと終わらせましょうよ。退屈だわ」
「お嬢様、もう少し我慢して……動かないでください、髪の毛が零れるでしょう」
 背中に流れる金髪を掬い上げて、リルイースは顔をしかめた。そわそわとしたアナベルの態度からは早くカルファールのところへ行きたいという気持ちが透けて見え、微笑ましいと同時に寂しさをも感じさせる。
 リルイース以外をいれようとしないアナベルの一室は人々の集まる広間からはだいぶ離れていたが、それでも届く喧騒にアナベルは頬を上気させていた。
 どのような格好をしていてもその愛らしさが損なわれることはないアナベルだったが、今日の装いはいちだんと華やかで美しい。宴の主役のひとりとして、誰にも劣らない、霞むことのない魅力を振り撒いていた。
 大広間のきらびやかな光の下で、同じく着飾った人々に囲まれて、……そうなったときのアナベルは、もっと美しいのだろう。
「もうすぐできますからね。わたしは髪の毛を結うのはあまり得意ではないと申し上げたのに、お嬢様が他の人は嫌だとおっしゃったんですから、少しくらい時間がかかっても仕方がないでしょう? カルファール様の横に並ぶんですから、うんときれいに結わなくてはいけませんよ」
「わかってるけど、宴の前から疲れたらどうにもならないでしょ?」
 小卓へ手を伸ばし、指をさまよわせて髪飾りを掴む。
 リルイースはまるで光を放つような金の糸を捻って留め上げ、まだ幼さの抜けない口調に苦笑した。
「申し訳ありません、手際が悪くて……」
「違うのよ、リルがだめって言ってるんじゃないの。つまらないだなんて、私のわがままよ。もう大人にならなきゃいけないのに、リルを困らせたわね」
 しかし少し眉尻を下げて笑ったアナベルの表情は大人びて、リルイースへの気遣いに溢れていた。
 彼女はもう、まぎれもない大人なのだ。
 確かに、精神的な成熟はリルイースのほうが早かったかもしれない。しかし少々人見知りするが、同年代の少女たちとごく普通の友人関係を築き、よく勉学に励み、ときには息抜きに遊ぶこともあったアナベルは、心の中に抱えている土壌が豊かで広い。
 アナベルだけがすべてだったリルイースとは、比べものにならないほどに。
「なんだか、まだ実感が湧かないのよ……お母様やお父様に甘えられなくても、私の側にはリルがいてくれて……リルだって、私と変わらない年のはずなのに私のこと気遣ってくれて。私本当に大切にされてるんだっていつも思ってた。でも、リルは大変だったでしょう。お休みだってめったにとれないし、四六時中私のお守ばっかりで。気が咎めたこともあったけど、リルがいてくれるのが嬉しかったからいつもわがまま言ってたわ」
 確かに母親が泉下の人となってから、リルイースが頼れる人間はいなかった。
 レイルシュにしても、都に出てきたのは勉強のためで、そうそう会えるわけでもない。
 けれどもリルイースはアナベルに迷惑をかけられているだの振り回されているだのの意識は微塵もない。ただ、側にいて、必要とされるだけで幸せなのだ。
「いいえ、わたしはお嬢様が幸せならそれでいいんです。……お嬢様、カルファール様のことお好きでしょう?」
 結い上げた金の頭を、乱さないよう撫でる。
「……え? ええ、……大好きよ……」
 初めてアナベルがカルファールと会った日にぽつりと漏らした言葉を、リルイースは今でも覚えている。
……まるで、王子様みたいなひと……。
 最初、幼い憧れを微笑ましい気持ちで見守っていたリルイースは、時が経つにつれ真剣さを帯びるアナベルの想いに気づいて、愕然としたものだった。
 まともな恋愛感情を持ったこともないのに、カルファールに真摯な目を向けるアナベルを、ある種の観察眼でもって見ていた自分は、なんて愚かなのだろうと思った。
 それと同時に、フラッセアの至宝、美の天使ユフィーリアの申し子とまで言われるアナベルがこのうえなく幸せな未来を手に入れられたことに安堵した。
 ユフィーリアの日に生まれた娘は器量よしに育つという街の人々の噂がこんなにも当てはまる人もめずらしいともっぱら評判のアナベルだったが、カルファールもアナベルと並んで見劣りしないほど魅力的な青年である。
 あの方はいつ生まれたのだろう……と考えて、リルイースは思わず手を止めた。
 実際は、線の細い神の御使いに、あれだけ甘さを含んでいながら男らしい容貌を持つものはいないのだろうが……。
「カルファール様も、お嬢様が好きでたまらないというのが伝わってきますから……ああ、できました。おきれいですよ」
 最後にアナベルの正面へ回りこみ、肩についた金の糸を払うと、リルイースは全身を眺めてうなずいた。
「さ、行きましょうお嬢様」
 リルイースが手を差し出すと、アナベルは細い指を重ねてわずかに首をかしげた。
「ちょっと待って、リル……最後にひとつだけ」
「何ですか?」
「リルは……アルディラン様のこと好き?」
 紫の瞳が、リルイースを見上げた。
 決して好奇心からの詮索ではない、熱い色。来るべき至福の時を前に、リルイースの幸せをも願っているのが感じ取れる。
 けれど……アナベルは知らない。
「いいえ……あの、そうじゃなくて。とてもお優しい方ですし、嫌っているというわけではありませんけど……特別な感情を持っているかと言われると……」
「そうなの……。うん、ただ、アルディラン様はリルイースと話しているときとても嬉しそうだし、蒼皮を教わりたいともおっしゃってたし」
 それはそうだ、彼の本気はリルイースが一番よく知っている。
「兄君に気を遣っておられるだけじゃありません? カルファール様だって、お嬢様とふたりのほうが楽しいでしょうし」
「私も、カルファール様とふたりだけのほうが嬉しいけど……でもね、アルディラン様も、きっとそう思ってるわ。リルイースとふたりがいい、ってね」
「でも、そんなことを言われても……」
 きらきらと光る紫の目を見つめ、リルイースは溜息をついた。
 アナベルがリルイースのことを想ってくれているのはわかる。
……しかしこの年頃の少女というのは、他人の色恋話が何よりも好きなのだ……。
「そう……? 残念ね、リルがアルディラン様と結婚してくれれば、私リルのお姉さんになれるのに……」
「ええ、そうですね……。お嬢様、それよりも早くカルファール様のところへ行きましょう」
 その言葉に、アナベルはにっこりと微笑んだ。
 リルイースを透かしてグラバート卿の次男に向けられた満面の笑み。
 広間の大装飾にも劣らないその華やかさは、永遠に萎むことない大輪の花のようだった。


「ねえあなた、クレイトのお嬢様付きの人でしょう?」
 いつもよりも料理人の数が多い台所の一角で、リルイースはもうすぐ卓に乗るデザートを皿に並べていた。
 肩越しにかかったきびきびとした声に、作業が一区切りついてから振り返る。
 まず目に入ったのは、興奮の色が見え隠れする黒い瞳だった。
「ええ、リルイースと言います。……あなたは?」
「私? 私はシャーリーン。一応王宮で働いてます。今日は別に姫様についてきたんじゃないけれど、することがなくって退屈で。……ここでお手伝いしてもいいかしら?」
「シャーリーン……」
 記憶の底をたゆたう懐かしい名前に、リルイースは目を細めた。
 リルイースよりも少し低い身長に、やや幼い顔立ち。ふっくらとした頬に血が上り、アナベルとはまた違った素朴な愛らしさを醸し出している。姫様ということは、王宮の下働きなどでなく、王族の誰かの世話をしているのだろう。到底そうは見えない容姿をしていたが、ぴんと伸びた背筋と敏捷な動作を見ていればかなりの有能さを読み取ることができる。
「お暇なら、お願いしてもいい?」
 短く答えて作業を再開したリルイースに、シャーリーンはしばらく黙々と手を動かしていた。
 すべての準備が整い、広間の様子もうかがってデザートを出すタイミングを計っているところで、リルイースはふとシャーリーンに尋ねた。
「……あなた、どうしてわたしのこと知ってるの?」
「あら、だって有名だもの。『ユフィーリア様』が唯一側に置く人間だって」
「わたしの母は、お嬢様の乳母だったから……ずっと、側にいたの」
 今までは、ずっと。
 あの日から、ずっと。
「乳姉妹ってわけね。……それにしても、リルイースってあの名前ね」
「……シャーリーンも、そうでしょう?」
 女性的な華やかさ、美しさを象徴する美の天使ユフィーリアは女性体と伝えられる。
 しかしリルイース、そしてシャーリーンは、天使の中でも特異な位置に属する、中性の天使だった。
 中性天使の名前は男子、女子ともにつけられるが、リルイースやシャーリーンなどという名前をつけられて喜ぶ男もいないだろうと、リルイース自身はそう思う。反対に、中性天使名にも男性的なものもあるのだが、そう名づけられる娘もいるという。
 これらの名前が忌まわしいか喜ばしいかなど、リルイースにもわからない。
 けれど自分は、それで生きていくしかないのだ。
「私この名前気に入ってるわ」
 誇らしげにそう言ったシャーリーンに、リルイースは同意を示す。
「……ええ、わたしも」
 リルイースはシャーリーンの肩を叩き、大皿を手に取った。
「もう頃合いよ。運ぶのもお願いしていい?」
「ええ……あ、もっと持てるわ」
 三枚の皿を軽々と抱えたシャーリーンは、決して弾んではいないが軽い足取りで廊下を進み始めた。
 かなり重量があるはずのそれを、絶妙なバランスで両腕を一杯使って運ぶ。
「シャーリーンは、普段どんな仕事してるの?」
「あらあらまあ……リルイースってば。聞いて驚け、王太子妃殿下のシュリ様の身の回りのお世話よ」
「じゃあ、どうして……」
 確かにクレイト、グラバート両家ともフラッセアでは指折りの大貴族ではあったが、だからといってもとはアエリアルの第一王女である王太子妃が足を運ぶものだろうか。
 その純粋な疑問に、シャーリーンは微笑んで答えた。
「さっき、殿下についてきたわけではないと言ったでしょう? 父が、グラバート様の別荘の管理人をしているの。今日はせっかくシュリ様からお暇をいただいたのに、父にカルファール様の宴をお手伝いしなさいって言われたのよ。……まあ、いい人もいないから構わないけど」
 うんざりとした態を装ってはいるが、それでもめったにないきらびやかな宴に、下働きとしてでも参加できるのは嬉しいのだろう、片頬にえくぼを作る。
「リルイースにはいないの、優しい恋人は」
「いるわけないわ」
「どうしてよ」
「……だって……お嬢様の世話はひとりでするしかないし、お休みもとらないし……」
「聞けば聞くほど大変な生活よね。私なんて、運命がどう転がったのか、貴族身分も持ってないのにシュリ様付きの女官に大出世して。実をいうと、力仕事なんてここ最近やってないのよ」
 それでは、このシャーリーンの持つ筋力と平衡感覚は、天性のものなのか……。
 羨ましい気持ちに満たされて、リルイースは三枚の皿を見つめた。
「大変じゃないわ、お嬢様の側にいられるんですもの」
「……まあね、それくらいの気持ちがないと、クレイトのお嬢様の世話をひとりでなんてできないわよね」
 うんうんとうなずくシャーリーンの上方に目を走らせて、リルイースは一歩足を踏み出した。
「……リン、避けて……!」

 ねじの緩んだ大振りの燭台とシャーリーンの間、強引にねじ込んだ身体がぐらりとかしいだ。
 肩に、熱い痛みが走る。
 がしゃんという音とともに飛び散った陶器の欠片は、リルイースが持っていたものなのかシャーリーンが抱えていたものか……。
 視界に天井が飛び込んできたところで、リルイースは自分が置かれている現状を理解した。
 床には割れた皿の破片が散乱し、燭台が直撃した肩が痛む。シャーリーンが血相を変えて肩を叩いていたのを見ると、燃えそうなところだったのかもしれない。
 鈍い痛みに貫かれる朦朧とした意識の中で、ようやくリルイースは言葉を絞り出した。
「レイを呼んで……」


――――リン、大丈夫だよ。僕が側にいるからね――――


 大きな手に髪の毛を撫でられる目を開けると、そこにいたのはやはりレイルシュだった。
……シャーリーン、呼んでくれたんだ……。
 ぼんやりとした頭で思うが、よく考えてみればシャーリーンがレイルシュを知っているはずもない。燭台に直撃された人間が血を流して失神している光景は人々の間に波紋を投げかけたろうから、きっとレイルシュがリルイースを探し出してくれたのだ。
「レイ……」
「リル、平気? 肩火傷してたんだけど」
「火傷?」
 怪我をしたほうの肩に手をやると、そこに包帯が巻かれているのがわかった。
「まあ、あの燭台火が入ってたから……」
 いささかのんびりとリルイースが言うと、レイルシュは蒼白な顔で大きく息をついた。
「どうしてそんな悠長なこと言ってられるんだよ……」
「だって誰が悪いわけでもない、事故っていうものでしょう? あの……レイ、これは誰が治療してくださったの?」
 肩と、他にもあちこちにできた擦り傷のひとつひとつに施された丁寧な治療に、リルイースは内心驚きつつレイルシュに問うた。
「クレイトのご当主が、先生を呼んでくださったんだよ」
「旦那様が? だったら平気ね。レイ、わたしの服は?」
 レイルシュに手渡された服を被り、髪の毛を低い位置でひとつに束ねる。肩の包帯は完全に隠れ、やや青白い顔の他にリルイースの変調を示すものはなかった。
 立ち上がろうとしたリルイースを、レイルシュが慌てて制する。
「リル、まだ安静にしてなきゃだめだよ。それに、もう宴は終わった。今晩は僕がついてるから、ゆっくり休むんだよ」
 ふと窓の外を見やると、来客の馬車で賑わっていたはずの玄関はひっそりと夜の闇に覆われ、盛大なかがり火もぽつぽつとしか認めることができなくなっていた。
 そんなにも長い時間気を失っていたということは、アナベルにもリルイースの事故は伝わっていると見て間違いない。
……心配はかけたくなかった。喜びで満たされているはずの、あの人に。けれど。
「ありがとう、レイ。部屋に戻りたいんだけど、ついてきてくれる?」
 レイルシュは軽くうなずいてリルイースに手を差し出した。幼い頃から変わらず、リルイースを導く手。暖かくて、少し骨張った感触がリルイースの手にぴったりと合う。
 立ち上がると少し頭が重たいような気がしたが、そうひどくはなかった。自室までの距離くらいなら特に苦にはならないだろう。
 そっと肩を押さえ、廊下に出た。宴の名残がそこかしこに見られる、気の抜けた空気。宴の準備をしていたときの高揚感とは比べものにならないほど澱んで、疲れきった人々の表情。
 真夜中を過ぎて広間や控室の片付けに追われる彼らの中に、本当ならリルイースも混ざっていたはずなのだ……。
「ねえレイ、お嬢様、幸せそうだったわよね」
「……うん、そうだね、とても」
……リルは幸せじゃないの?
 穏やかな調子で問われて、リルイースは首を振った。
「ううん、幸せ。わたしは今まで、お嬢様の側にいられたから。生きて、お嬢様の側で笑って、お嬢様の笑顔を見て。必要とされて……わたしが」
「リルイースが……?」
 レイルシュは厳しい顔でリルイースの頬に手を伸ばした。
「本当に、幸せだった?」
「ええ、もちろん……」
 なぜ、レイルシュはそんなことを言うのだろう。
 アナベルの側にいることが、リルイースの幸福。
 それを誰より知っているのはレイルシュだと思っていたのに……。
 見慣れた扉をゆっくりと押し開ける。
……煌々と灯りに満たされた室内に、リルイースは思わず額に手をやった。
「お嬢様……アルディラン様」
 リルイースの寝台に腰掛けていたアナベルは、こわばった表情を緩ませて微笑んだ。
「リル……大丈夫だった? し……心配した、のよ。本当に……」
 ぼろぼろと子供のように涙を流すアナベルに近づき、リルイースはその横に座り込んだ。
「大丈夫ですよ、たいしたことはありません。……お嬢様、擦らないで。腫れますから」
 手の甲で目を擦るアナベルにハンカチを差し出す。ぐすぐすと鼻を鳴らすアナベルは、リルイースの腕をそっと掴んだ。
「どこを怪我したの?」
「こちらの肩です。あの、本当に大丈夫ですから……」
 無傷のほうである腕に、アナベルがぎゅっとしがみついてくる。
 カルファールという伴侶を迎えてなおアナベルが自分を思ってくれていることに気づき、胸が熱くなる。
 金色の小さな頭を撫でると、アナベルは安心したように身体の力を抜いた。
「リルイース、傷は残らないのか?」
「ええ、少し火傷しただけですから」
……それに、少しくらい痕が残ったところでどうということはない……。
 アルディランの言葉に返答し、彼の存在に戸惑いも覚える。
 アルディランが宴に出席するのは少しも不自然なことではないが、リルイースの様子を知るためだけにこの時間まで残ったということは、やはりまぎれもなく彼は本気だということで……。
「利き腕ではありませんが、しばらく引き攣れて動かせないかもしれないんです」
 アナベルが暗い顔で溜息をついたことに、罪悪感が押し寄せる。
 きっとアナベルは、カルファールと結婚しても今までどおりリルイースが側にいると思っているのだろう。
 実際は、リルイースはアナベルを遠く離れていこうとしているというのに。
 一点の曇りもない紫の瞳から、目をそらす。
「リル……疲れてる?」
「いいえ、平気です」
「嘘。今日は朝からずっと働き詰めだったし、お医者様にも休んでいなさいって言われてるはずよ」
「それは、その……そのとおりですけれども」
 寝台を明け渡され、リルイースはアナベルを見上げた。今日は付き添っていてくれると言ったレイルシュは除き、アナベルとアルディランが部屋の中にいては、どのみち眠れはしない。
「本当に怖いの……リルが、いなくなったらどうしようと思うと」
「お嬢様?」
「だってずっと昔から、私にはリルしかいなかったんだもの。リルがいなくなったら、私はどうやって生きていけばいいの? どうやって毎日……」
「でもお嬢様には、カルファール様がいらっしゃいますでしょう?」
 アナベルの言葉はリルイースこそが感じているもので、だからこそ心にしっかりと刻まれる。
「どうして私はこんなに情けないのかしら? リル以外の人と話しているとどうしようもなく緊張するの。カルファール様に出会って、やっとリルを私のわがままから解放してあげられると思ったのに、リルが私の側からいなくなると思うと怖いの……」
「……いい加減にしていただけますか」
 アナベルの涙声に、静かな怒声が覆い被さった。
 付き合いの長いリルイースでもそう聞いたことはない声音に、怒りをはらんで細められた目。
……レイルシュが、アナベルをまっすぐに睨み据えていた。
「どうしてあなたは、そうやってリルを振り回すんです? リルが、どれほどの思いであなたの側にいたのか、あなたはまったく自覚していない」
「レイ!」
……あたりまえだ、リルイース自身がひた隠してきた事実なのだから。
 しかし悲鳴のようなリルイースの非難を浴びても、レイルシュは言葉を止めなかった。
「どういうこと……?」
「レイ、やめて、……お嬢様、聞かないで、お願いですから聞かないで……」
 リルイースの懇願に、レイルシュは今にも爆発しそうな思いを抱えた瞳で首を横に振った。
「どれだけリルが悩んできたかわかりますか。僕はリルが苦しむ姿をずっと見ていた。けれどリルは笑うんです、あなたの側にいられればそれで幸せだからって! あんなにつらそうなのに、幸せだから大丈夫だって笑って、僕を拒絶して……それがあなたのせいだと思うと、僕はあなたが憎らしくてたまりません。あんなに無理をして笑って、どうして幸せだなんて言えるんですか? それとも、それにさえ気づいていなかったんですか?」
「そんな……」
「どうしてですか? どうしてリルが、あんなに気を張って暮らさなきゃいけないんですか! あなたさえもっとしっかりしていたなら、リンは……」
 古い呼び名に、心臓が跳ねた。
 だめ――これ以上、言ってはだめ。
 しかし身体はまったく動かず、ただただ目を見開いてレイルシュを凝視するしかない。
「リンはもっと自由に生きられた。あなたがリンを殺したも同然なんだ」

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