NEXT GAME - きみには負けない - |
【14】 - in this way - 何年か前に部の予算で買ったというミシンで衣装を作りながら、聖は頭のほうもあわただしく回転させていた。暗記しなければならない年表だの分子式だのを片っ端から並べてもいたが、頭が痛くなってくるような勉強がらみの考えごとにはすぐに限界が来る。規則的に動くミシンの針を規則的に見つめて、聖はいつしか芦屋真由子のことを考えていた。 真由子は最近、いつにもまして練習に身が入っていないようで、高校生によく注意されている。中二で文化祭の公演に出るのも少数であるうえに、伝説の衣装チーフともいえる姉を持つ真由子は、聖の見たところクラブの中でかなり危うい位置にいる。今のところ、天秤はよい方向へかたむいているが、あの上の空が続いたのではそれがいつ反転するかわかったものではない。 ただ、自分もかなり忙しい日々が続いていて――衣装だって、本当は先週末がしめきりだった――、真由子を気にかけている余裕はなかった。中三というと後輩と先輩の数が同じ微妙な学年だが、単純に忙しさで言えば中二とは桁違いに跳ね上がる時期でもある。 ミシン待ちの中二がちらちらとこちらを見ているのを意識しながら、聖は心の中で毒づいた。 こんなに衣装が複雑だなんて聞いてない、だの、今日は文化祭当日のシフト表を小百合が配る日なのに、だの、さまざまな思いが暴れまわる。 水郷に入ってからの二年半を思い出し、これほどまでに早朝の登校が続いた日はなかったのではないかと思った。このまま早起きが習慣になったらどうしてくれようか。 だいたい、自分自身にも腹が立つ。別に今の時間で登校すれば毎日朝練に出ている創一と駅で会える、などというくすぐったいを通り越してむず痒い夢を見ているわけではないが、駅で顔を合わせて校門まで歩いてくる時間はかけがえのないものだと思う。いつの間に自分がそんな人間になったのかと思うと、自分でも驚いた。 前の聖ならば、向こうから自分に歩み寄ってこない人間は容赦なく切り捨てていた。 けれど創一を相手にするとどうだろう。自分からは動こうとしない、悪く言えば臆病で好意的に言うと泰然としている創一に焦れて、彼女のほうから近づいてはいないだろうか。 「うわぁ……」 高速でミシンを動かし、顔をしかめた聖に、部屋の反対側で針を動かしていた後輩はびくりと肩を震わせた。 最後に返し縫いをして糸を切り、あちこちを引っ張ってみて作業漏れがないか確認する。多少作業が荒くても客席からはわからないが、予算を出して作っている以上なるべく使いまわしのきく、丈夫なものに仕上げなければならないのだ。 「ミシン、終わったから。多分あなたが最後だから、授業に行くときは電気を消して、コンセントも抜いておいて。この前、中二の誰かが使ったあとに電源が付けっぱなしだったって聞いたけど、それはもう高校生から注意された?」 後輩は緊張した面持ちでうなずいた。 「ならいいの。じゃあ、よろしくね」 聖は下駄箱から部室に直行したためかたわらに放り出しておいた鞄を手に取り、部室の外へ出た。一階にある部室は、中三の教室からはずいぶん遠い。 部室が立ち並ぶ廊下を抜けて、下駄箱前の中央階段に足をかけたところで、聖は後方から声をかけられた。 「河東さん――」 「うん? ――どうしたの、芦屋さん」 振り向いた先には、こわばった表情の芦屋真由子。 「ちょっとお話が……あの、授業までには終わりますから」 「うん、いいけど。部室に行く?」 「今、人いますか」 「うん、衣装の子が」 「それは、あんまり……」 珍しく言いよどんだ真由子に、聖は誰にも気づかれない程度に顔をしかめた。やっかいごとに巻き込まれている状態は、初めて瑞希に相談をもちかけられたときから続いているし、この前少し話もした。しかし真由子本人から人気のないところで話をしたいと言われてしまっては、これはもう最上級にやっかいな部類に入る。 「わかった。それじゃあ、倉庫でいいでしょう?」 「はい」 鞄を抱えなおし、聖は体育館横の倉庫に向かった。真由子が黙ってついてくるのが、本当に気詰まりだと感じる。 演劇部の装置や衣装などが保管してある倉庫のドアノブに手をかけて、聖はそれをまわした。耳ざわりな音を立ててドアが引っ張られる。鍵がかかっているのだ。 「鍵がかかってる。今日は部長が休みなのかもね。裏に回れば人はいないと思うけど、どうする?」 「まだ……二十分あります」 軽くうなずき、聖は真由子を後ろに連れて倉庫の裏へ回った。日当たりが悪く、二日ばかり前の雨がまだ乾いていない地面が気持ち悪い。 「それで……あたしに何の用? この前の話の続き?」 「はい」 どう考えても、楽しい話ではない。そればかりか、嫌な予感すら聖は覚える。彼女がこういうふうに微妙な空気を読み取るときは、なぜか必ずとんでもない事態が待ち構えているのだ。 自分は外見だけで判断すれば母親と父親に似て怜悧かつ端麗なのだと思うが、両親ほど勘が鋭いわけでも頭がいいわけでもない。だからこそ彼女の『なんとなく』はちょっとやそっとでは発動しない。 「あたし、河東さんに頼みたいことが」 「どんなこと? 難しい?」 「まさか」 真由子は首を振り、ひどく言いにくそうに複雑な表情で口を開いた。あと二十分あるとか、授業までには終わると言っていたわりにはずいぶんと渋っている。 「あたし――河東さんに、桜井さんは単なる友だちだって言って欲しいんです」 「……友だちって言う……って、桜井が? どうして? もしかして――」 倒れた真由子を助けてくれた、運動部の少年。 身長が百七十前後の、おそらく上級生。 瑞希から聞かされたその人物は、創一だったとでも言うのだろうか。今まで、そんなことは考えてもみなかった。真由子の相手は百七十センチくらいのバスケ部の男子とほぼ確定してはいたが、そんなありふれた特徴から、自分が大切に思っているたった一人を連想するだなんて、そんなばかげたことをできるわけがない。 しかしそれは紛れもなく事実だと――本当に、真由子と創一は夏から付き合っているのだと、真由子の目ははっきりと語っていた。 「あたし、河東さんのこと本当にきれいな人だと思います。姉はあたしがまだ小学生のときによく、とびきり美人の新入生の話をしてました。河東さんのこと初めて見たとき、姉が言ってたとおりの人だと思ったし、今でもそう思ってます」 「……ありがとう」 「だから、河東さんみたいな人があの人のすぐそばにいるのはたまらなくイヤです。それで……」 「それで、こんなばかげたことを言わせようってわけ?」 不快をあらわにしたまなざしを向けると、真由子はわずかに唇を震わせてうなずいた。 「それだけで安心できるの? 桜井の側にいるのはあたしだけじゃないのに?」 「河東さんが、一番きれいです!」 「外見のランクが、あなたの警戒の強さなの? それってずいぶん失礼な話じゃない」 爆発しまいと押さえ込んではいたが、聖は自分がみるみるうちに沈み込んでいくのを自覚していた。真由子の言い分はわかる。彼女は聖を美しいと認めているからこそこのような釘をさすのだ。 「だいたい、あなたに頼まれてあたしが桜井のことをただの友人って言ったところで、それがあたしの本心かどうかはわからないでしょう。ただ言うだけでいいならいくらでも言えるじゃない、桜井はあたしの友達よ」 「そんなんじゃ……!」 「そんなんじゃだめって言うんでしょう? だけどあなたはやり方を間違えたの。こんな、真正面からの方法を選ぶべきじゃなかったの。あなたがあたしに何かを要求した時点で、それはあたしの自然な言葉じゃなくなるんだから、どっちにしろあなたの不安は取り除かれないでしょう!?」 人気がないのをいいことに、声を高く張り上げて聖は言う。その金切り声に触発されるようにして、胸の中で怒りがふつふつと煮えたぎった。 それはある地点をすぎて氷に覆われたように冷え、聖の体を重くする。こんな不快な気分になったのは久しぶりのことだった。小百合や理帆、彼女の中身を正しく評価し、なおかつこの外見もこのうえなく愛してくれる友人を得てからは癒された傷が疼く。 聖は、自分の皮一枚だけを取りざたしてあれこれ言われるのが一番嫌いだった。 「あたしは言わない。桜井が友達だなんて言わないから」 聖はやっとの思いで声を抑えた。なんだったら、真由子がもっとも恐れている言葉を口に出してやってもいい。 「お願いですから、言ってください。河東さんの言ってる意味はわかってます。だけど、あたしは不安なんです。お願いですから、桜井さんをとるつもりはないって――――」 「……言わなかったら、どうするの」 聖は真由子の肩を掴み、白い頬をかすかにゆがめた。 「今すぐクラブをやめます。あたしは、本気で」 怯えながらも真由子が搾り出した言葉を聞いて、聖は自分とあまり高さのかわらない肩を突き放した。真由子に背を向け、ひとりごとのように、けれども捨て台詞としてひとひらの言葉を残す。 「やめたいなら、やめなさい」 あなたは、代わりのきかない存在じゃない。 せいいっぱい自転車を飛ばしたつもりだが、校門に滑り込んだときには既にチャイムの三分前だった。最近は朝に委員としての仕事が詰まっていたために三十分も早く起きて登校していたのだが、今朝はとりたててやるべきことがないという余裕のせいでかえって遅刻しそうになってしまったのだ。 以前ほど遅刻しなくなった小百合に、母も喜んでいた。といっても、遅刻が減ったのは委員の仕事が忙しくなってきた夏休み後からだが、一度早起きが習慣づけば万事うまくいくと母は考えているようだ。 小百合は自転車置き場に止めた自転車から粗雑に鍵を抜き取り、鞄を抱えて下駄箱へ走った。中三の教室は、遠いし階段がつらい。小百合は足も遅いし体力もあるほうではないから、きっと間に合わない。 焦りながら靴を履き替え、階段を駆け上がっていくと、前方に見慣れた細い後ろ姿を見つけた。茶色い髪の毛を長く垂らして、遅刻しそうな時間であるにも関わらず悠然と歩いている。 「ひーちゃん!」 「……小百合?」 ゆっくりと振り向いた聖の険しいまなざしに、小百合はびくりと身を震わせた。悠然と、と見えたのは間違いで、何に起因するのかはわからないが怒りを押さえ込んでいたらしい。 「悪いけど、今機嫌が悪いの。先に行ってて」 「え……あ、うん。授業には出るでしょ?」 「出るから、早く行って」 言葉尻のきつさに、聖自身も驚いたように目を見開いた。ばつの悪そうな顔を背けた聖を、小百合は追い越す。 聖はなまじきれいな顔をしているぶん、不機嫌なときには氷の女王のようにおそろしい表情になる。しかし、あれだけ機嫌が悪そうなところは中一のときからずっと付き合っている小百合も初めて見た。 金曜日に学校を出るときはまるで普通だった。土日に何かあったのだろうか――それとも、この朝に。 氷点下まで降下した聖の機嫌に気をとられながらも、小百合は教室に向けて走っていく。鳴り始めたチャイムをBGMに教室へ滑り込むと、隣の空席をもてあましている達矢と目が合った。手には出席簿を持っている。遅刻をつけられてはたまらない。 「宇野、吉野が河東の靴が下駄箱にあったって言うんだが」 「あ、はい。今、追い越してきました。気分が悪いから先に行けって言われて」 「お前、遅刻の回数がやばいからなあ。高校生になってもこれだったら、いくら成績がよくても話にならないぞ」 どうやら、河東聖は遅刻の多すぎる友人を気遣って先に行かせたということになったらしい。 まさか「機嫌が悪いから」と言うこともできないのででまかせを言っておいたが、とんだやぶへびだった。もっとも、あの不機嫌な空気を発する聖は「気分が悪い」と評してもあながち間違いではないだろう。 「はーい」 首を縮めて席に着き、小百合は鞄を探った。 聖は、一時間目が始まる直前に教室に滑り込んできた。 |
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