NEXT GAME - きみには負けない -



【12】 - in this way -


 翌週、小夜子から電話の連絡があった。彼女の妹、真由子が演劇部をやめたいと言い出した件についてである。受験勉強で忙しいだろうにわざわざ連絡してくれたのが、やっかいごとを引き受けてしまった聖としては涙が出るほどありがたかった。
『もしもし? 河ちゃん、あのね、真由子のことなんだけど』
 そう言って切り出されたのは、八月からの真由子の行動だった。
『八月の中ごろかな、あの子、練習中に倒れたじゃない』
 尋常でなく暑かった、ある一日のことだ。
 聖は直接見てはいなかったのでよく知らないが、真由子は保健室から病院へと直行し、その後五日ほどクラブに出てこなかった。
『ウォータークーラーのところで倒れたらしいんだけど、そのときウォータークーラーの、ほら丸っこくなってる角のところで頭打って、動くに動けなかったの』
「はい……それで」
『そのとき、「誰か」がまゆを助けてくれたらしいのね。で、それ以降まゆは家でもなんとなく変な感じ。たぶん「誰か」っていうのは男の子で、おぶって保健室まで運んでくれたっていうからおっきい子。メールしてるところ見ちゃうと笑ってごまかすし、彼氏でもできたのかなぁとは思ってたんだけど、それと演劇部をやめるっていうのはどうつながるんだろうね』
「彼氏……あの、それかもしれません。谷野さんとも、真由子さんが急にバスケのマネージャーになるとかならないとか言ってたから、男バスに彼氏でもいるのかなっていう話をしてましたから」
『嘘、そうなの? うわあ……だけど、だからってクラブまでやめるって』
 聖は電話に向かって溜息をついた。
『まあ、確定したわけじゃないからねー。もう少し話を聞いてみようとは思うけど……』
「あ、でも、さよ先輩は真剣に悩まなくてもいいですよ。勉強だってしなきゃいけないし、こんな時期に余計なこと……」
『だけど、あの子一応私の妹だからねー』
「ですけど」
 せいいっぱい声を低めて渋ってみせる聖に、小夜子は電話の向こうで笑った。
『冗談だよ、私そんなことしてられるほど頭良くないから。真由子のことは気になるけど、自分が第一だよね。河ちゃんは本来、真由子とはそんなに関係あるわけじゃないでしょ、だから申し訳ないなとは思うんだけど、あの子のこと頼める?』
「それは、まあ……」
 瑞希の頼みを断れなかった時点で、今現在の泥沼は既に決定していたのだ。小夜子に似てはいるが彼女よりもややきつい顔立ちの真由子と対峙することを考えると、怖いわけはないが想像のうちから疲れてしまう。
 いったいどうして自分がこんなこと、と思いながらも、聖はいつも以上に気を張ってクラブに出ていた。
「……河東さぁん」
 小さな声で瑞希に呼ばれ、聖は舞台袖へ向かう。大道具が置いてある少し照明が暗い片隅で向かい合うと、あいかわらずお人よしで心配そうな瑞希の顔があった。
「真由子のお姉さん、何か言ってました?」
「夏休みに倒れたとき助けてくれた人と、付き合ってるのかもしれないって。男バスに彼氏説はとりあえず信憑性が高いみたいだね」
「……え、あのときの?」
 唇の下あたりに手をやった瑞希に、聖は問う。
「あのときの……って、誰が芦屋さんのこと保健室に連れて行ったか知ってるの?」
「いいえ」
 あっさりと首を振った瑞希の言葉が、期待はずれだった。
「ただ、芦屋真由子が病院に行きましたよ、っていう磐田先生からのプリントを届けてくれた人を見たんです。だから、その人かなって。男の子でしたよ、少なくとも中二ではないと思いますけど」
「それ以外に何かわかったことはある? たとえばユニフォームとか、髪型とか身長とか」
「詳しくはちょっと……。身長は、これくらいだったと思います」
 瑞希が手で示したのは、百六十センチ代の後半から百七十センチ代の前半。ありふれた身長だ。
「やっぱり、その人が男バスの部員で、真由子と付き合ってるんでしょうね」
「まあ、そう考えるのが普通でしょうね。でも、あたしたちがここであれこれ言ってても、その人物を特定できるわけないんだよね。あとで芦屋さんに話してみるから、わかりやすいところに引き止めておいてくれる?」
「あ、はい」
 瑞希はなぜか緊張した面持ちでうなずき、練習に戻った。


 六時二十分前に練習は終わる。通学に一時間以上かかる生徒が溢れているため、試合前の運動部やよほどに切羽詰った状態にあるクラブ以外は六時には解散する。演劇部も例外ではなく、五時半にはもう片付けに入っているのが常だった。
 最終下校時刻は六時半だが、これからの時期はそこまで残って活動するクラブも多くなるだろう。ときにはクラスのほうでもぎりぎりまで残っているところがある。
 私立の水郷にとって、文化祭は重要なイベントだ。受験生とその父兄が多く訪れ、校内は人の熱気に満たされて進学校としてのものだけではない活気のある表情を見せる。勉強にばかり力を入れているのではないとアピール――事実、そのとおりなのだが――するいい機会であり、在校生の朗らかな対応と、決してレベルの低くないクラブ活動を見せつけるのだ。
 聖だって、この時期の校内の賑わいは嫌いではない。いつもよりも少し浮き立った気分で帰り支度をし、あとは帰るだけというころに瑞希が引き止めておいてくれた真由子に声をかけた。
「芦屋さん」
 セミロングの髪の毛を染めた真由子が振り向いた。
「何か用ですか? あたし、早く帰りたいんですけど」
 聖と真由子は普段の活動でほとんど共通する部分がない。警戒と言うと言葉が悪いが、真由子が身構えるのも仕方のないことだ。
 聖は、ただでさえ『人間離れしてキレイなのに、無愛想な先輩』として通っているのだから。
「うん、ごめんね」
 先輩に対して失礼とも思える真由子の言葉を受け流し、聖は彼女を校門と下足室の中間あたりにある銀杏の下へ連れて行った。
「……谷野さんがね、このごろ気にしてるの」
 まだ色づくには早い銀杏の葉を見上げながら、聖は言った。
「芦屋さんが、退部しようとしてるかもって。それで相談されたんだけど、単刀直入に聞いていい? あなた、本当にやめようと思ってるの?」
「……それを河東さんに言わなきゃいけない理由はなんですか。お姉ちゃんと仲がいいから、それとも瑞希に相談されたから――」
「言いたくないなら、言わなくてもいいけどね。あなたがやめようがやめまいが、あたしには関係ないの。ただ、あたしがどう思ってても、谷野さんは先輩を引っ張り出してまであなたを思いとどまらせようとするくらいにあなたのこと思ってるのよ」
 ぐさりと音を立てて突き刺さったような言葉。真由子はむっとした表情で押し黙り、しばらくしてから口を開いた。
「あの子、おせっかいすぎるんです。水郷に入ったときからずっとつるんでるからいまさらクラブを別々にしたくない、なんていう勝手な理由じゃなくて、あたしは演劇部をやめるよりこのままいたほうが幸せだろうって、こっちのことを思って行動してるからたちが悪い」
「迷惑なの?」
「迷惑じゃありません。あたしのこと気にしてくれてるのはありがたいと思います。……だけど、あたしやめます。文化祭が終わったらやめるって、決めたんです」
 てこでも動かないような調子で真由子は言い、やや高いところにある聖の目を見上げた。
「まだ、クラブ変えるのに遅すぎる時期じゃありません。あたしがやめるのはあたしの自由です。瑞希も河東さんもお姉ちゃんも、止めることはできないはずです」
 聖はこめかみのあたりがずきずきと痛むのを感じて目を閉じた。思ったよりも、真由子は手ごわい。八月に真由子を助けた男とクラブをやめることの関連性が見つかってないのが敗因であるような気がしてならないのだが。
「まあ、確かにやめるのはあなたの自由ね。だけど、それなら理由くらい話していきなさい。あなたが文化祭終わるまで完璧に隠しとおせてれば、谷野さんが余計な気をつかうこともさよ先輩の手を煩わせることもなかったんだから」
「え……ここで、ですか?」
「何言ってるの、さんざん人のこと振り回しといて。一番の部外者なのに一番損な役回りをしたのはこのあたしだってわかってるの、あなた」
 聖が一分の隙もなく整った顔で凄んでみせると、真由子はぎゅっと眉を寄せてうなずいた。
「すみませんでした。それであの、あたしがやめる理由ですよね。……簡単にいえば、付き合ってる人ともっと一緒にいたいからです」
「どういうこと? できれば、もっと詳しく」
「その人は年上で、クラブが忙しくて、水郷生ですけどもちろん家も遠いです。学校でたまに会う以外にはメールと電話だけしかできません。だからあたし、クラブをやめてその人のところへ行こうと思うんです」
 どうにも要領をえない話だったが、とりあえず聖は了承しておく。
「その人と同じクラブに入るってことね?」
 やはり、バスケ部か。
「そうです。だってそうすれば、今よりももっとずっといっしょにいられますから」
 少し前までの聖には理解のできなかった理屈だ。何も、真由子がクラブをやめる必要はない。相手が演劇部に入ったっていいではないか――どちらかが自分をおさえなければ成立しない恋愛などむなしいだけだと聖は思ったが。
 真由子の場合は、自分のほうが年下であること、また――おそらく――真由子から好きになり真由子から告白したことなどがあって、不必要に相手に気を遣っているようだ。
 けれど、と聖は相手の男に怒りを覚える。週末にデートするなり駅までは一緒に帰るなり、真由子を満足させておいて欲しかった。『彼』が真由子の望むほど恋人としての役割を果たしていないから、彼女は自分から歩み寄っていこうとしていて、それは聖たちにとってはほとほと迷惑なのだ。
「そんな冷たい男のどこがいいの……ああごめん、本気だけどあなたが気にすることじゃないから」
 真由子はゆっくりと歩いてくる瑞希を見つけて、聖に頭を下げた。彼女を解放してやり、聖は瑞希と目を合わせる。
 結局、根本的な解決にはならなかった。
――ごめんね。


 駅で、創一に会った。
 ついさっきまで練習していたのがまるわかりの、頭から水を引っかぶって濡れた髪の毛をしていた。日に焼けた肌に滴る雫が制服をぬらさないよう、聖は咄嗟にハンカチを差し出していた。
「あんたもたいがいバカよね。電車の中はクーラー利いてるんだから、ちゃんと乾かさないとだめじゃない?」
「ありがと。でもこっちでいいわ、俺汗かいたから」
 創一はタオルを引き出し、電車を待ちながらもう一度頭を拭いた。汗と熱気のたちのぼる、なまなましいようなそのしぐさとようすは、彼のものだと思うときだけ気にならない。
「河東もクラブだったんだろ?」
「まあね。クラスのほうは、さゆと大滝待ちじゃない」
「文化祭の公演って何やるんだ?」
「『空と海の名前』――あたしは知らなかったんだけど、何人か見たことあるのがいたみたい。主人公は市営プールの監視員のバイトしてる奴で、あたしが入学してからの公演の中では恋愛色の強いほうかな」
「俺も知らないよ。――あ、河東、各駅でもいい?」
 聖と肩を並べて電車に乗ることが確定しているような問いかけに、聖は内心嬉しがりながらもそれを表面には出さずに小さくうなずく。受け入れられていると感じるのは気持ちの良いものだ。
 生徒の数が多く、やや混んでいる。創一がひとつだけぽっかりと空いた席に聖を引っ張っていき、座らせた。
「ありがとう」
「それでさ、河東は出るの?」
「文化祭? 出るけど?」
 創一のスポーツバッグを膝の上に預かり、聖は首をかしげた。これだけやっているのに外堀が埋まらないのはなぜだろう。――埋まってほしくもないが。
「じゃあ、試合と重なってなかったら達矢連れて見に行くな」
――大滝なんていらないわよ。
 聖はそう思ったが、口には出さないでおく。どうしてこんなに嬉しいのだろう、と思うと鼓動が高まった。


「あ、ちょっとちょっと、そこのさつきさんと真希さーん!」
 昼休み、ちょうど何の用事もなく教室に残って昼食にしていたさつきと真希を、いつものように達矢とひとつの机を囲んで弁当を広げた小百合は手を振って呼んだ。小百合が弁当箱を指さして合図すると、ふたりとも弁当持参でこちらへやってくる。
「どうしたの、小百合ちゃん」
 さつきは達矢の座っている隣――つまり河東聖の椅子に座った。真希がその前の席の椅子に座って後ろを向き、ひとつの机にふたつの弁当箱が並ぶ。
「ふたりとも、文化祭までのスケジュールと当日のタイムテーブルを早めに出してね。できれば、今」
「いま? ……あたしは平気だけど」
 真希はポケットから生徒手帳を取り出し、カレンダーのページを開いた。見開きで一か月、とりあえず九月の後半はちらほらと埋まっている程度だ。
「家庭科室とかって、土日にとるの?」
「検討中なの。あんまり譲歩しても、みんなのスケジュールがあうわけないんだし。なるべく出られる人が多い日、かな。クレープ焼き希望の人は、もう出てるんだよ」
 レモンイエローのファイルからリストを取り出し、小百合はざっと十五人ほどの名前を挙げた。
「一番難しいのがクレープ係だから、少し多めに焼けるようになってもらおうと思ったの」
 ね、と正面の達矢を見ると、目線だけで同意された。満面の笑顔を期待していたわけではないが、あいかわらず反応に乏しい。
 さつきと真希、同じクラスにいながら口を聞いたこともほとんどないふたりの存在に達矢が緊張していることなど、小百合にはお見通しだった。
「あたしは、土日はけっこう暇だから、いつ入ってもいいよ。動かせない予定はない……はず」
「わたしも、一日くらいならいつでもあけられるけど」
「はいはい、ありがとー。それじゃあ九月の終わりあたりに勝手に入れとくから、よろしくね。あ、お弁当どうぞどうぞ」
 箸の止まっていたさつきと真希をうながし、小百合もまた鮭のおにぎりにかぶりついた。とうに弁当箱をからっぽにしている達矢が居心地悪そうに溜息をついたのを見て、小百合は首をかしげる。
「大滝君、何か用事があるなら済ませてきちゃえば?」
 かわいらしい言い方だが、彼は人見知りが激しい。人付き合いが苦手なのだ。さつきと真希が、邪魔とは言わないがかなりの負担になっているだろう。
 しかし達矢は、首を振って頬杖をついた。自分の机だから逃げ場がないのだ。
 小百合の弁当箱を見つめる瞳に、長い前髪が垂れかかっている。切ったほうがかっこいいって言ったばかりなのに、と小百合はわけもなく不機嫌になって、彼の前髪をばさりと上にあげた。
「ちょっと大滝君」
「……何だ」
「景気の悪い顔するなら、どこか他の場所に行ってよ」
「どうして俺が……」
「だって三人で動くよりひとりのほうが身軽でしょ? それにほら」
 小百合は自分の弁当箱を隣の机に移した。
「さゆたちが占拠してるのは河東聖さんの机だけ。大滝君にはなーんの関係もありません」
 達矢がしぶしぶといった様子で立ち上がった。内心でごめんねーと手をあわせ、小百合は食事を再開する。
 弁当を食べ終えた真希が達矢の教室を出て行く後ろ姿を見送り、パックのジュースを飲んで小百合をつついた。
「多分知っててこうしてくれたんじゃないと思うけど、ありがと」
「ん……?」
 小百合は食べながらその続きをせがむ。
「大滝がいるとしにくい噂話をね、さゆの耳に入れようと思って。……あのさ、桜井と聖さんって付き合ってるの?」
「――えー、どうしてそう思うの?」
「だって、やったら親密なところばっかり見えるんだもん。聖さんとまともにしゃべってる男なんて桜井と大滝くらいのもんだし、大滝はどう見たって聖さんに興味ないし。昨日だって、帰りにふたりで電車に乗ってるとこ見たけど」
「聖ちゃんは座ってて、桜井君がその正面に立ってたんだよねー」
 かわるがわる証言するふたりに、小百合は疑問のまなざしを向ける。
「だけど、それくらい誰だってやることだよお。さゆだって自転車じゃなかったら大滝君だろうが桜井君だろうが一緒に帰るもん。昨日はたまたま、大滝君は習い事があってりっちゃんのクラブが長引いただけでしょ?」
「そう? それなら、違うんだね。聖さんが小百合に秘密にしておく理由なんてないんだし」
 聖が創一のことを好きなのは理帆から聞いたが、それが相互で通じ合ったという話はまだ知らない。ここはなんにも知らないふり、でとぼけておくのがいいだろうと小百合は考えたのだ。
 しかしさつきと真希は、それとはまた別の目撃談を用意していた。
「――じゃあ、桜井君の彼女ってやっぱり年下なんだ」
 ぽろりと言ったさつきの顔を凝視して、小百合は目を見開く。
「どういうこと?」
 創一に彼女ができるなら、それは小百合にとって自慢の親友、この世の者とは思えないほど美しい少女――聖以外にはありえないと思っていた。聖は誰よりもきれいで、少し辛辣な言動をとることもあるけれど優しい、つりあう人間なんてそうそう見つからないほどの人間だから。
「どういう……」
「桜井と、年下の水郷生が一緒にいるところもね、見たの。二年か一年かはわからなかったけど、中等部の、三年じゃない生徒」
 なぜこんなにも自分が動揺しなければならないのか、小百合にはわからなかった。けれどもこれはとても由々しき事態なのではないかと思って、狼狽の表情が浮かぶ。
「さゆは……知らないよ」
「……そうみたいだね。ねえ、あたしたち何か余計なこと言った?」
「ううん、そうじゃないけど、ちょっと、びっくりして……さゆ、大滝君に聞いてみようかな。あ、真希ちゃんたちに聞いたってことは内緒にしとくから」
 ことの是非を確認したいのもやまやまだったが、小百合はそれ以上に達矢の判断をあおぎたかった。
 この噂を周りの風評に無関心で、おそらくこのことを知らないだろう聖の耳に入れてもいいものか、どうか。
 それは彼女ひとりの手にはあまることだと、心のどこかが告げていた。



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