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【10】 - in this way - 夏休み明け、まだまだ残暑の厳しい九月一日。授業はなく、午前中で終わる始業式とLHRのみだ。そのあとクラブに出るも自由、帰ってまだ終わっていない夏休みの宿題に手をつけるも自由と、休み気分の完全に抜け切っていない教室の中、小百合と達矢は黒板の前に立っていた。 担任の宮森は教室の入り口付近に陣取り、クラス委員であるふたりの采配をじっと眺めている。 文化祭のクラス参加部門には、基本的に担任はノータッチだ。せいぜいが生徒会と文化祭実行委員会に提示された予算から実費をおろす際、担任のサインが必要になるくらい。 中学生ともなれば、出し物の内容から何から、すべて自分たちで決定し、準備を進めていかなくてはならないのだ。 たとえば聖の所属する演劇部だったり、管弦楽部だったり、クラブ活動で参加するところは夏休み前から準備を進めている。理帆や創一のところも、九月になればもう練習試合の段取りもついている。 けれどクラス参加イベントは基本的に九月になってから活動をはじめるもので、文化祭まで二か月あまりの間にどれだけ趣向を凝らしたものが作れるかが腕の見せどころとなる。 進学校として名高い水郷ならではの仕組みだが、十月の半ばにある二学期の中間テストでは、いつもならテスト一週間前は禁止されるクラブ活動も許可されているし、文化祭のための準備を進めるのも自由だ。さらには学年によって教科数は違うが、すべての教科のテストを二日で終わらせてしまう。 水郷学院の生徒たちは、文化祭の準備で休む暇のないほど忙しい二学期の中間テストでは、テスト対策など何もない、普段からの勉強量で勝負することを強いられるのだ。 小百合や達矢は神様から授かった記憶力や理解力に加えて、普段の復習予習が完璧な努力型でもあるため、文化祭の時期が迫ってきても困ったことはない。けれど二学期の中間は、教師にとっても生徒の素の力を知るいつもとは違ったテストであり、生徒にとっても日ごろさぼったツケがどっと押し寄せてくる恐怖の実力テストだった。 しかし、それでも文化祭のイベントで手を抜こうとしないのは、生徒たちのプライドによるものだろうか。 「ええっと、何か文化祭でやりたいことってありますか」 小百合が声をかけると、生徒たちは首をかしげて押し黙った。なんらかのビジョンを持った者がいないのなら、今考えてもらうしかない。 「ないなら、今考えてくださいねー。四十五分まででいいかな。三日には文実に何をやるか申告しなきゃいけないんで、決まるまで終わりませんよー」 言う者がいわなければ人を苛つかせるだけの内容だったが、小百合のほんわりとした笑みを添えて言われると、人は彼女が言うのなら真面目に考えてみようという気になる。 達矢は、それを見越して自分は書記役に回っているのかもしれない。 考えると言っても終始無言でいられるわけもなく、かといって他人と話し合っても活発的かつ建設的な意見が出されるわけではなく、教室内はなんとなくざわざわとしていた。 「何がいいかなあ……ねえ、大滝君」 自らも真面目に考えている小百合は、黒板脇でプリントを広げている達矢に尋ねた。学年会の責任者、A組のクラス委員が配って歩いていたクラス参加イベントについてのプリントだ。 「さあ……でもまあ、他とかぶらない、なるべくユニークなものだな」 「ユニークって言っても、奇抜なことはできないよ? お金かかっても困るし」 「あたりまえだろ。そうだな、他のクラスの奴にはできないことができるだとか、他のクラスにはないものがあるだとか、そういうところを前面に押し出していけば……」 思案顔で達矢は呟いた。 「三分でケーキが焼けるとか、三十秒でお茶が出せるとか……?」 冗談で言ったことだったのだが、達矢は大真面目に答えた。 「まあ、裏でフル回転すれば無理な話でもないだろうけど……ただ、そうすると調理室の競争率が高くて面倒だな。飲み物は教室でどうにかなるとしても、ケーキはな……」 「食べ物系っていうのはさゆ、いいと思うんだよね。……ああ、四十五分だ」 黒板の上の壁にかかった時計を見上げ、小百合は教室内によく響く声をかけた。 「決まりましたか? 何かない?」 ぐるりと教室内を見回すと、一番後ろの席のあたりからおずおずと声がかかった。 「ねえ、小百合ちゃん」 「はい、真希ちゃんどうぞ」 真希は前に座っていた友人の肩を叩き、声を張り上げた。 「さつきが、クレープならホットプレートで焼けるから、調理室を使わなくてもいいって言うんだけど」 「ホットプレート? それを持参して、教室のコンセントにつなぐの?」 「うん、そう……」 さつきはかすかに頷き、言葉を続けた。 「そんなに難しくないから、二三度練習すればすぐ焼けるようになると思うし、何人かにわたしと真希ちゃんで教えて、当日は交代すればいいでしょう?」 「そうだねー。他に意見がなければ食堂部門のクレープでもいいかなって思うんだけど。……はい、他に何かあるひとー」 呼びかけの対象は天下の水郷生だが、小百合はまるで幼稚園児を相手にした先生のように見える。 結局手はあがらず、小百合は再び言った。 「本当に何もない? じゃあ、クレープに賛成の人は挙手してくださぁい」 三十八人分の手があがる。さっさと帰りたいだとか、他の案を考えるのが面倒だとかの思惑がどれくらいまざっているのかはわからないが、皆さつきの意見には好意的であるようだ。 「それじゃあ、文実と生徒会に承認されたら具体的なことを決めます。ええと宮森先生、あと席替えだけして終わりですよね」 「ああ。さっさと終わらせてくれよ」 「はい、それじゃあ籤作ってあるので出席番号順にひいてくださーい。ひいたら、黒板にちゃんと書き込んでいってね」 達矢は几帳面な線で黒板に座席の配置を書きあげた。上が黒板。ふたつくっついた座席が五列でひとかたまり、それが四つ。きれいな長方形をした座席表が、次々と埋まっていく。三十八人全員が籤をひいて、小百合と達矢は残り物の座席に名前を書き入れた。男子がふたつ並んだ座席の右側ということは決まっているため、選択肢はない。 「……あ、大滝君、ひーちゃんの隣」 達矢の隣に書かれた河東という名前に、小百合はにっこりと微笑んだ。 「よかったねー、二学期はひーちゃんのところでお弁当だ」 確かに、見ていて気圧されるくらいの美貌を誇る聖の隣は、十分「よかったねー」という言葉に値するものだろう。けれど達矢にとっては、そう嬉しいものでもなかった。 「宇野はどこなんだ? ……一番後ろか」 「そう。ええと、あとは……」 理帆や創一の座席をチェックし、小百合は白紙の座席表に視線を落とした。二学期、と左上の隅に書き込み、黒板に書かれた座席を写し取っていく。これを宮森に持っていって、教科担当の教師の人数分コピーしてもらわなければならないのだ。 教師からの連絡はもう済んでいたため、宮森は簡単にホームルームを終えた。バラバラと立ち上がり、皆荷物を新しい座席に移していく。 もとの自分の座席を使う生徒が立ち往生しているのを見て、小百合と達矢は一度作業を中断した。荷物ごと新しい席に移動し、そこで仕事を続ける。 小百合は座席表作りを、達矢は文実に提出するクラス参加の簡単な内容を。 するとそこへ、理帆と聖が連れ立ってやってきた。 「あれ、ふたりともクラブは?」 小百合はクラブに入っていないが、ふたりはそこそこ練習も多く忙しい部活に所属しているはずだ。 「今日はないの。さゆ、それ終わったらお昼食べて帰らない?」 「あ、うん、ちょっと待ってね」 小百合は鞄から取り出した財布の中身を確認し、紅い携帯電話を取り出した。昼ごはんの段取りを考えているだろう母親にメールする。 返事は、すぐに返ってきた。 『三時からピアノのレッスンするからそれまでには帰ってきなさい』 母親は小百合のピアノの教師で、空いている時間はほとんどを彼女のレッスンにあててくれている。九月、十月は文化祭の準備もあり、どれだけピアノに時間が割けるかわからないが、レッスンは欠かさないようにしようと小百合は決心した。 何しろ、クラス委員としての責務は初めて負ったのだ。これからの時期がどれくらい忙しくなるのか、見当もつかない。 「さゆも大丈夫。それで、どこに行くの? いつものところ?」 駅前のファーストフード店は、いつも水郷の生徒たちでにぎわっているところだ。騒がしいのが嫌いな聖はあまりいい顔をしなかったが、時間さえはずしていけばさほどでもないことを知ってからは頻繁に利用している。 今日のように天気のいい日は、テイクアウトして公園で食事にするのもいい。荷物は、小百合の自転車に載せてしまえばいいのだ。 「それじゃあ行こうか。さゆ、職員室寄ってく?」 「あ、うん、ちょっとこれ渡してこなきゃいけないから」 鞄をとりあげ、小百合はまだ作業を続けていた達矢と、その横で購買のサンドイッチを食べている創一に手を振った。 「大滝君、さゆ先に帰るね。宮森先生には渡しておくから、そっちお願い」 「ああ、じゃあな」 「うん、ばいばい」 セーラー服のスカーフを直しながら、小百合は教室を出た。聖と理帆は、職員室までつきあってくれる。 「……それにしてもあんたたち、なかなかいいんじゃないの」 「……はい? 何が?」 廊下を歩きながらそう呟いた聖に、小百合は首をかしげた。 「だってさ、最初はなんか、こいつら大丈夫かなって思うくらいふたりともマイペースだったから。だからちょっと心配してたんだけど……さゆと大滝って、なかなか息があってるんじゃない?」 「そうかなぁ」 息が合っているのだとしたら、それはおそらく達矢が自分に合わせてくれているのだ。 だから、聖の言っていることは少しばかり違うのだと――そう、小百合は思った。 「そうだね。まあ、さゆが大滝に懐いてるっていうのは見ててすぐわかるし、大滝もいつもの無愛想とはちょっと違うんじゃないの? お互いに、やっぱりウマが合うんだと思うなあ」 小百合の頭を高い位置からぽんぽんと叩きながら理帆も言う。 「そうなのかなあ……」 「そうだよ」 自分のことだというのに半信半疑な小百合を見て、理帆は笑い出した。 「そうだよね、さゆ、大滝君となにかするっていうのがすごくやりやすくて好きだもん」 「あれ、そうなんだ」 「うん、最初に会ったときには、なんとなくで一緒にクラス委員やろうって誘ったんだけど……思ってたより、楽しいかな」 達矢は優しい。周りの人々は彼をただ無愛想でとっつきにくいと思っているかもしれないが、小百合は知っている。 彼は人が嫌いなのでも気難しいのでもなく、ただ少し人付き合いが苦手なだけなのだ。水郷のトップを走る優等生という立場上、どうしてもある程度の人との接触は避けられないが、彼はそれだけで疲れてしまう。人と対するのに、気を遣い、頭で考えて行動しなければならないからだ。 だから彼は、しなくてもいい付き合いというのはなるべくならしたくないのだ。創一は彼が自然に向き合うことのできる数少ない例外、そして。 小百合もまた、その例外の中に加えてもらったと言っていいだろう。 「だからさゆ、けっこう好きだよ、大滝君のこと」 「ああ、そう……それでこう来るんでしょ、『大滝君も桜井君も、ほんとにいいひとだよねーっ』とかなんとか」 演劇部ならではの声真似に、小百合は目を丸くした。 「ひーちゃん、どうしてわかるの?」 「あんたの考えることくらいわからなくてどうするの。ほら、さっさとそれ出して昼食べに行くわよ」 クーラーのきいた職員室に入り込み、中三の担任がまとまって座っている一画に宮森を見つけると、小百合は座席表を手渡した。 外に出ると、まだ去り行く気配のかけらも見えない夏の日差しに、眩暈がした。 「へぇ……それじゃあひーちゃん、表に出てくれないんだぁ」 ファーストフード店で買いこんだハンバーガーを頬張り、小百合は口をとがらせた。聖ほどではないが細く小柄な身体のわりには、よく食べる。ハンバーガーをふたつにチキンパイまで買ってきた理帆には及ばないが、彼女の紙包みの中にもハンバーガーの他にアップルパイが入っているのだ。 駅から少しばかり離れた公園で当たり前のごとく木陰のベンチを選んで座り、三人はやや遅い昼食にしていた。 聖は小百合と理帆に囲まれて座り、ぬるくなったアイスティーを飲みながら小百合の頬をつねった。 「いったぁ……」 「あたしが表で接客なんてするわけないでしょ、クレープになったとして」 「客寄せにはなるだろうけど、寄ってくるだけ寄ってきて居座られたらことだからね」 ふたつめのハンバーガーを食べながら、理帆は言った。クラブはなかったはずだが、やはり根がたくさん食べるほうなのだろう。普段の日も、弁当箱はやたらと大きいしよく購買まで買出しに行っている。 「まあ具体的なことはこれからだろうけど、あたしは飲み物係にでも回しといてちょうだい」 「あ、それじゃああたしも聖と一緒にやる」 理帆が軽く手を上げる。おそらく、誰が聖とシフトを組むかでもめないようにとの配慮だろう。特に男子の競争率は高いと予想された。……ただし、聖はたとえ同じ時間に同じ仕事を受け持った人間でも、気が向かなければ決して友好的な態度をとることはないのだが。 けれど小百合は、理帆に向かって首を振ってみせた。 「たぶん、男女一組が基本だもん。まあ、なるべく桜井君とか大滝君に組んでもらうようにはするけど」 それに、小百合や達矢はクラブに所属していないため、文化祭の日には自分たちが遊びに行く以外の時間は完全にフリーとなっている。シフトを組むのも彼女たちの仕事だし、そこはどうとでもなるだろう。 「じゃあ、いいじゃない。一時間に十人、一日二時間働けばいい計算なんでしょ。桜井も一日目は試合だけど二日目は暇だし、聖は桜井と裏でやってなよ」 文化祭は二日間、一日の公開時間が八時間、ひとクラス四十人という数値から割り出したのだろう、理帆は言った。 「どうして桜井なの。大滝のほうがいいんじゃないの、ヒマ人なんだから」 「……大滝のほうがいいの?」 「別にあたしは誰だっていいけど、あんたたちが気を遣ってくれるっていうなら止めない。思う存分あたしに気を遣ってちょうだい」 小百合は目を瞬かせ、要領を得ない話を続けるふたりを見比べた。 「意地張っちゃって。天下の河東聖ともあろう者が、何怖がってんの」 「別に怖がってなんかないでしょ。ムカつく女ねあんたって」 「ムカついてんのが何よりの証拠じゃない」 カモの泳ぐ池や大規模な遊歩道も備えた公園では、冬は焼き芋が売られているし夏はときおりクレープが買える。聖はキャラメルと生クリームのクレープを買い求めて食べていたが、チキンパイを腹におさめながら相手をしている理帆との会話は、どうも小百合には理解が難しい。 「ねえりっちゃん、さゆにもわかるように説明してよ」 「はいはい、ちょっと待ってな」 チキンパイをきれいにたいらげ、理帆はハンカチで手を拭きながら言った。 「つまりだな、この子はさくらいが……っ」 聖が理帆の口を文字通りふさいだが、握力も腕力も桁――は違わなくとも十の位の数字から違う理帆にあっさりとたおやかな手を振り払われる。 「聖はね、桜井のことが好きなわけだよ」 「さ……?」 「そう、その『さ』」 「桜木君じゃなくて……?」 おそるおそるA組のクラス委員の名前をあげると、理帆はあっさりと首を振った。 「さくらぎじゃなくて、さくらい。桜井創一」 無理もないよね、と理帆は呟いた。桜井には気の毒だけど、聖とつりあうレベルにはほど遠いし。 いたって気楽に秘密をさらしてしまった理帆の頭を、聖は渾身の力をこめて引っぱたいた。細い茶髪の上を白い手のひらが滑るが、理帆はたいしたダメージを受けていない。 「あんたっ、何言ってんのよ! 断りもなくヒトのプライベート暴露していいと思ってんの?」 「だってあんた、案外演技が下手なんだから。あんたが不器用なのにも責任があるのに、小百合が鈍いからって知らせないでいていいの?」 普段の聖ならば、他人には自分の気持ちを決して気取らせないよう振舞っていただろう。けれども、あまりに思いが大きいばかりに理帆には見破られてしまった。――いつもの彼女らしからぬ失態を犯してしまったのだから、この際小百合にも打ち明けてしまえとそういうわけだ。 小百合は、はっきりと言わなかったら聖と創一の中が大団円でおさまるまで気づかなかっただろうから。 もっともな理帆の言葉に、聖は不承不承引き下がった。白い肌にうっすらと浮き上がった紅の色が鮮やかで、小百合はそれに見惚れてしまう。 「もう、ひーちゃんてばかわいいなあ」 「あんたにだけは言われたくないわよ」 生クリームがたっぷりのクレープにかぶりついた聖を横から見つめ、小百合は言った。 「そういうことなら、さゆがんばるよ」 「……どうして、あんたが」 「ひーちゃんと桜井君のシフトが、不自然なところなく完璧に重なるように! さゆがやってみるよ」 「大滝がいる限り、無理だと思うけどね」 けれど小百合は思うのだ。やっぱり、片思いの相手と堂々と一緒にいられるというのは嬉しいもので、その時間は貴重ではないかと。 よし、と気合を入れなおし、小百合は立ち上がった。 夏休み、遊園地のプールで理帆がやったように、ごみをまとめてごみ箱へ投げる。 けれど紙類ばかりのそれはふうわりと風に乗り、地面を歩いていた鳩を驚かせただけだった。 |
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