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 妖 精 の 道
- Fairy Tale -

(1)「妖精の道」(後編)

 マオは決して背が低い青年ではないのだが、今回ばかりは隣を歩く男性に圧倒されてしまっていた。男の人間離れした長身は嫌でも人目を引き、二人にとって厄介なことこのうえない。
「……あの人には、お会いしなくても?」
「やめておく。会ってしまったら、私は彼女の道を曲げたくなる。曲げられない自分を嫌悪して、今度こそ立ち直れない。彼女は優しすぎて自滅してしまったのだから、その原因となった私はもう現れないほうがいいはずだ」
「アヤは優しくないとでも言いたそうですね」
 男は声を尖らせたマオに向かって苦笑し、自らを憐れむかのように言った。
「違うな。優しくないのはこの私。アヤはそれを引き継いでしまっただけだ」
 たった一人の、娘なのだから。
 彼女も、母親に似ればよかったのに。そうすれば、優しく、何も知らない代わりに傷つくこともなく、平穏に暮らせただろうに。
 すべては、彼女が父に似てしまったから。
 道を引くことの出来ない妖精の王――コウに、似てしまったから。
「じゃあ……ミサには?」
「君とアヤの娘? 何を言っているんだ、アヤとミサを迎えにきたんだろう? 構わない、いつでも会える。……私もこの歳で孫を持つまでになったと思うと、不思議な心地だな」
 こころなしか肩を落として呟いたコウに、マオは溜息をついて言った。
「何を言ってるんですか、本当はもう三――」
 三桁も半ばの歳を生きてるくせに、と言いかけたマオの後頭部に鈍痛が走る。マオは目を細めてコウを見上げた。
「どうした、マオ。早くアヤのところに案内してもらおうか」
 そう言って足を速めたコウは、村の人々の猜疑心に満ちた視線には目もくれず、村を外れて川を目指したのだった。


 もう陽は沈みかけていた。
 快適とはいえない午睡から目覚めたアヤは、何度目かの大きな溜息をついた。
 マオは、まだ帰ってこない。
 早く帰らなければいけないのに。
 ミサが待っているのに。
 あの子はきっと泣いているだろう。
 レナも子供を育てたことはないから、困っているだろうに――。
 それなのに、足が動かない。まだ、マオと一緒にいたい。そして、父親に会いたい。十数年ぶりに、父に会いたい。
 自分は、何よりも娘を優先しなくてはいけないのに――ただの義務などではない、それは愛情なのに、それなのにこんなところで人を待つだけだ。
 ぽつぽつと降り出した夕立に、少しだけ、アヤが濡れる。
 何事にも完全というものはない。下の枝が枯れてしまうほどに張り出しすぎた大木も、完全に雨の滴を遮ってしまうことはできないのだ。
「遅い……」
 もう日が暮れてしまう。
 やっぱり――もう、父親とは会えないのかもしれない。妖精の怒りを買った父。もう、いないのかもしれない。
 父に会えなくても、マオが帰ってこなくても、昨日までの日々を繰り返すだけだ。それなのに、どうしてこんなに哀しいのだろう?
「遅いわよ、マオ……」
 ミサが――待っている。
 そもそも、マオがここで待っていろなどと言うからいけないのだ。話なら、アヤの家ですればいい。あの真夜中のときのように、母の目を盗んで人を招き入れることぐらい簡単なことだ。
 ミサが大切なのに。大切な、はずなのに。
「馬鹿……マオの馬鹿……」
 繰り返すアヤの顔に雨粒が落ち、涙を連れて落ちていく。


 マオとコウが川の上流へ向かう途中、アヤと同じくらいの年頃の若者がひとかたまりになって夕立をやり過ごしていた。コウは村の、妖精石を採る習慣を思い出す。おそらく、その一団だろう。
「コウ、よそ見をしないで下さい。あなたは目立ちます。それに――アヤが待っている」
 コウがうなずき、若者達を見回して端正な面にわずかに笑みを浮かべた。


「リキ――あの人達、どこ行くんだろうな」
「さあな。俺には……」
「でも、さ……アヤはまだ川だよ。川で雨宿りしてるんじゃ――?」
 一行の中で一番小さな少女が呟くと、リキは血相を変えて二人の男性を振り向いた。
 背の高い二人連れだ。彼らとは反対に、川の方へ向かっている。激しい雨をものともせずに歩いている男性たちを睨むようにして見送り、リキは大きなため息をついた。
「俺はアヤを迎えに行って来るから――」
「何言ってるの!」
 走り出したリキの袖をケイが掴んだ。足場の悪いところへ勢いをそがれたリキが身体のバランスを崩して倒れこむ。リキに振り払われ、ケイが滑りそうにもなるが、彼女は再びリキの腕を抱えて叫んだ。
「リキ、あの人達、アヤを迎えに行ったのよ!」
「だって、村の人間じゃないだろ!」
 リキに怒鳴られ、ケイが泣き出しそうに顔をゆがめた。それでも腕を抱え込んではなさず、もう一度声を絞り出した。
「きっと、ミサのお父さんだよ! それに……アヤのお父さんがいたもの!」
「アヤの……?」
 周りの仲間が口々に呟く。アヤの父親、今この場にいる子供たちがまだが幼いころに村を出て行った異邦人の姿を知っている者は少ない。父がいたときのアヤには、近所の子供たちとの交流がなかった。母親は明るい人で村の女性ともよく付き合ったが、一家の父親と娘はまったくと言っていいほど外に出なかったのだ。父の失踪を境にアヤは人前に出るようになり、すっかり子供たちとも打ち解けたが、彼女の父親について多くを知っている者はいない。
「ケイ、見たことあるの?」
「うん……だって、アヤの家、うちの裏だもん。コウ小父さんだよ、あれ。絶対に!」
 ケイが断言して、リキの抵抗が緩む。しかし、側でなりゆきを見守っていた少年が小声で、
「でも……アヤのお父さんにしては若すぎじゃないか?」
「コウ小父さんは十年前も若かったのよ!」
 ケイが力説すると、若者たちは口々にうなずきあい、リキにおとなしくしていろと口うるさく言い始めた。
「大丈夫だろ、アヤは」
「だけど……!」
 なおもケイを振り払おうとするリキを周りの人間が押さえ込む。
「リキ! おまえ、もうアヤは諦めたって言ってただろ!」
「ゼン!」
 リキはゼンを殴りつけ、川の方へと歩いていった。
 たとえ濡れたとしても、構わないのだ。
 アヤだって、冷たい雨に濡れているに決まっているのだから。


「……馬鹿みたい」
 もう、大きな葉から零れ落ちる雨水さえすべてアヤに吸収されていた。陽が沈んだかどうかもわからない。すぐに通り過ぎるはずの夕立はいつまでたってもやむことがなく、アヤの我慢は限界に近づいていた。
 アヤが雨の中待てないのと同じで、マオとコウも雨だからこそここへ来るまでが困難なのだとは、わかっていたのだが。
 それでも、待っている自分が馬鹿らしかった。リキたちも、もう村へ戻っているだろう。元はといえばアヤが誰にも何も言わずに上流まで上がってきたからいけないのだ。誰もアヤを探そうとはしない。
 マオが来なかったら、自分は壊れてしまうだろう。
 マオの手をとり、そしてマオを失ってから、自分はいつも不安定だった。妖精への反感を取り去られ、ただでさえアヤはふらついていたというのに、その代わりに支えとなるはずのマオもすぐにアヤのもとを去って行ってしまった。
 もう、取り残されたくない。
 今からでも、マオを追ってみよう。
 父に会えなくてもいい。せめて、マオについて行ければいい。
 そう思ってアヤが立ち上がった矢先のことだった。
「アヤ……」
 下流から走り寄ってきた人影が、アヤを力いっぱいに抱擁する。
 その人物も濡れていた。雨の中、走ってきたのだと、分かって。
 すべての感覚が、懐かしい人だと訴えていた。拒んではいけない。アヤは、コウの背中を軽く叩いた。
「久しぶりね、お父さん」
 アヤが、コウの肩越しにマオを見つめ、ゆっくりと目を細めた。
「お父さん、マオに連れてきてもらったの?」
「……そうだね」
 マオの指が、いつものように淡い光を発する。
「ありがとう――マオ」
 コウが呟いた次の瞬間には、夕立は止み、辺りは夕日の沈んだ暗い木立だった。


 コウが泣いたところなど、見たことがなかった。
 マオの知っているコウは、いつでも気高く、威厳に満ち溢れた、偉大なる存在だった。泣いているところなど……見たことが、なかった。
 しかし、それは自分も同じだったかもしれない。
 マオも、アヤの前で生まれてはじめて涙を流したのだった。


「お父さんは――今まで、どこにいたの?」
 アヤが、ひとしきり泣いたあとにその場に最もふさわしい疑問を投げかけた。コウが答えようとするのを制して、マオはアヤを見つめた。
「コウは、コウが在るべき場所に居た。本来なら、そこから出るはずがなかった。私は若いころから何度もコウの手助けをしてきたし、今回も、規律を破ってコウを貴女に会わせた」
「……在るべき場所? っていうのは、どこ? どういうことなの?」
 アヤが眉根を寄せて呟いた。父の在るべき場所とは、自分と母の居る家であるはずなのに。
「あなたは……妖精なんでしょう?」
 マオは、月夜に現れた妖精。それはアヤの中で確かな事実として根を張っていた。
「そう……そして、コウもまた妖精だよ。そう――けれども、道を定める妖精の定めに従わなかった者」
 アヤの瞳が見開かれ、開きかけた口唇が凍りつく。
 妖精――父があんなに寂しそうに、従わざるをえないと言っていた、妖精。彼がその一員だと言うのなら、どうして母とアヤを捨てて出て行ったのだろう。別れの原因が母の道でもアヤの道でも、曲げてくれればよかったのに。
 アヤがコウを責める思いを感じ取ったのか、マオは慌てて弁護をはじめる。
「アヤ、コウは従わなかった者と言ったね? 妖精はすべての律を定める存在、つまり存在を定義されている生き物だ。人間の可能性は無限大でも、妖精は生まれたときから世界の道をつくることに従事することを定められている。そう言った点では、妖精とは人間よりもはるかに不幸な種族だ。しかしそれは、自分の道をある程度思い通りにできるということでもある」
 アヤが無言でうなずいたのを見て、マオが続きを口にした。
「でも、コウは妖精の定めに従わない存在、世界をつくる義務を負わない妖精だ。その代わり、自分の道を自由に動かすことも出来ない。それでも、彼は膨大な量の力を持って生まれてきた。本来なら道を定めることに使用されるべき力を、何の意味もなく持て余していたんだよ。そして妖精はコウを王に戴いた。……都合がよかったんだ。誰よりも強い妖精でありながら、彼は自分で自分の道の軌道を決めることができない。私だって、やろうと思えばコウの道をゆがめるくらい造作ないことだ。だから――妖精はコウを縛った。妖精という種族を護るために、決して王の定めから逃れられない王をたてた」
 コウがわずかに震えたのが、触れ合った腕を通してアヤに伝わる。幼いころは、誰よりも頼りになる大きな父親だと思っていたのに。
「でもあるとき、コウは人間の世界に降りた。本来まったく違う次元にあるはずの人間界に降りていくだけの力を、コウは持っていた。そして貴女の母親と出会い、娘を為した。でもそれは妖精達にとっては都合が悪いだけのことだ。王は、常に妖精の繁栄を考え、妖精を守護しなければならない。コウは、すべての力をもって同族が自分を人間のもとから連れ戻そうとするのに抗い、ようやく期限つきの自由を手に入れた。それが、コウが貴女から離れていくまでの時間だ。アヤの母親と出会ってから人間の時間で七年が経ったら、コウは再び妖精の王に戻る。そう制約がついた」
 道を曲げることが出来ない妖精。
 妖精でありながら、自らの道を他人に定められ、それを修正することも出来ない妖精の王。
 アヤに、父が言い聞かせていた言葉の意味は、このことだったのだろう。道は曲げることは出来ない。自分は、人間と一緒だ。
 力を解放すれば、自分の道の先の先まで見通すことが出来た。それなのに、一番大事なこと――道の修正だけは、どうしてもかなわない。
 人間の娘に恋をし、アヤという娘を授かり、それでも七年でもといた場所に帰らなくてはならなかったコウ。アヤに、いつも言っていた。妖精の定めた道は、曲げることは出来ない。
「どうしてよ……どうしていけないの? 妖精は、強い、長寿の生き物のはずじゃない……? どうしてお母さんが死ぬまで待ってあげなかったの?」
「コウが、王だからだよ。王に、人間界に慣れてもらっては困る理由が妖精にはあった」
「マオだって、妖精じゃない。それなのに私はミサを産んだでしょう? あなたは自由に私のところを訪れているわ」
「私は、生まれたときからコウと一緒だった。人間界で言う、諜報の仕事をするのが定めだった。……結局は、王のためにしか働かない役立たずだったけれども。貴女に会ったのも、コウが娘の様子を知りたがっていたからだ」
「……それで自分が子供を作って帰ってきたのだから世話はない」
 コウが鋭く呟いたのへ、マオは仏頂面で言った。
「いいでしょう? 確かにコウはアヤの父親だ。でも、あなたが私を認めないなどということはありえない」
 たいした自信だと言われても仕方のないような言葉を当然のように口にし、マオはアヤに向き直る。
 マオが口を開くよりも早く、アヤは言った。
「それで? ただ私に愚痴を聞いてもらいたかっただけではないでしょう?」
「そう。アヤ、貴女に道を曲げることが出来れば、すべては解決する」
「……道? 私が?」
 すべては解決という内容とは裏腹なマオの言葉に、アヤは怪訝そうに青年を見上げた。自分が道を曲げる、そんな突拍子もないことを言われても困る。
「貴女は妖精王の唯一の娘、おそらく妖精の力――道を曲げる力も備えているはずだ。その力で、コウの道を曲げればいい」
「そんなこと――出来るわけがないでしょう」
「どうしてそう言いきれる? アヤには妖精の血も流れているのに」
「それはそうよ。私はお父さんの娘ですから。お父さんが妖精だというのなら、私の一部は妖精なんでしょう。でもそれはあくまでも一部でしかないのよ。今お父さんの道を定めているのが誰かは知らないけれど、私にそれを変えろというのは無理ではない?」
 父にしがみついてはいるが比較的冷静なアヤの姿に、マオは真剣に首を振る。
「そんなことはない。人間は自由だと言った。つまり、貴女は自由な妖精だ」
「それをこじつけというのよ」
「アヤにならできる」
 頑なに繰り返すマオに、アヤは唐突に父を見上げた。
「お父さんはどう思うの?」
 コウは高いところからアヤを見下ろし、昔と変わらない瞳を和ませて言った。
「アヤにならできる、私の娘なのだから。それに……たとえ見込みが薄くても、私は解放されたい」
 それなのに、アヤは受けてくれないのだろうか?
 そう言っているような父の瞳に、アヤが首を揺らす。
 父が母と自分と幸せに暮らせないのもマオが奔走しているのも、すべて父の道を定める妖精のせいだ。それならば万に一つの可能性にでも賭けて、自分が父を自由にしなければいけないのではないだろうか。
「……わかったわ。私はどうすればいいの?」
「私と一緒に、私たちが住まう場所に行く」
「マオ、アヤは私と一緒だろう」
「私でしょう」
「何を言って……」
 大きな男が争っているところへアヤが割って入り、二人を睨みつけた。
「ミサはどうするの」
「連れて行くんだろう?」
「じゃあ、お母さんは? お父さん、お母さんはどうするの?」
 アヤの言葉に、コウが子供のようにうなだれて、
「……彼女は、もう死期が近い」
「――何を言っているの?」
「道が、見える。死期が近い。彼女を看取ってから……行こうと思う」
「どうしてよ! お母さんの死期が近いなんて、どうしてそんなこと言うの!?」
 アヤが勢いよく立ち上がり、川を駆け下って行った。マオが咎めるようにコウを睨む。……彼だって、平然と妻の死を受け入れられるわけではない。
 それでも、道が見えてしまうのだ。死をも知ることの出来る力。
「妖精になんて……生まれなければよかった」
 コウが、誰にも聞き取れないはずの声で呟くと、マオが静かにうなずいた。
 いつしか、月は中天に昇っていた。


 濡れたままの衣をまとって走っても、寒くもないし重くもない。彼女は昔から、外からの刺激に極端ににぶいところがあった。それこそが、人間を超える存在だと言われる妖精の血を持つ証なのだと、アヤは感覚で理解していた。
 川沿いにずっと走り続け、やがて一本の道が村へ向かって伸びる場所で立ち止まって、アヤは肩で大きく息をした。
 彼女の目に、低い茂みの側でうずくまるようにしている顔なじみの姿が入る。
「リキ……」
 アヤの呼びかけに、リキがよろよろと立ち上がる。
「アヤ、さっきの……ケイが、おまえの親父だって……」
「……うん、そうなの。私のお父さんと、ミサの父親」
 アヤに近づき、泣き笑いのような表情でリキは言う。
「よかったな……帰ってきたんじゃないか……」
「そうね」
 アヤはリキから顔を背けてうなずいた。
 そして、今度は自分も村から消えるのだということは、言えるはずもなかった。
「ここで、暮らすのか?」
「多分ね。……ねえリキ、あなたミサが生まれたとき、私に父親のこと愛してたのかって聞いたでしょう」
 相手は誰だと詰め寄ったリキを、今でも覚えている。親身になって心配してくれるのが、嬉しかった。父親はどこに消えたんだ、とリキが憤るのを見て、アヤはマオを恨むこともできなかった。
 父親を探してと頼んだアヤを、連れて行ってはくれなかったマオを。
「私、あの人が大好きなのよ。愛してるわよ、そう言えるの。あの人が、お父さんも見つけてきてくれたの。娘と父親、両方私にくれたのよ」
 リキは、アヤを待っていたのだろう。
 いつ戻ってくるかも分からないアヤを、ずっと、濡れた地面に座り込んで。
 それでもアヤは、リキに応えることが出来ないから――だからマオへの愛を楯にする。
「……そうか」
 リキはやはり泣きそうだった。
 アヤは泣けなかった。リキが哀れでならないのに、彼を受け止めることはできない。泣いてしまったら、自分はここを去れない。
 アヤが突然走り出したのに驚いたリキが手を伸ばす。
 しかし、アヤの身体は捕まえられなかった。
 それからも、ずっと。


 それから三回の満月を経た夜、リキの部屋の窓を叩く音がした。
 リキは気だるげに立ち上がると、木枠を強い力で押した。
「リキ?」
 窓から長身をのぞかせた男が、リキを見つめて微笑んだ。
 温和そうなその笑顔に彼は見覚えはなかったが、その場に、いつものようにケイがいたならばすぐに気づいたことだろう。
 コウの姿、若々しいその姿に。
 コウは懐からわずかな黒髪を取り出してリキに手渡した。
「これ……」
「アヤは髪の毛を切ったよ」
 リキの予想と違わないであろう答えを、コウは返した。
「餞別がわりだって。リキのことは忘れないって言ってた」
 力強くうなずいたリキに、コウは一瞬あんなふわふわ男のマオではなく、この子が婿に来てくれたらどんなに嬉しいだろうと思う。
 しかしアヤの幸せを思い、その考えをすぐに打ち消した。
 アヤの長い髪の毛、リキに渡したのはそのほんの一部に過ぎない。
 残りはすべて放浪癖のあるふらふら男、リキの恋敵だったであろうマオが大切にさらっていったことは、コウの胸の中に秘められた事実だった。


 自分の道を操ることができない人間は、人形みたいなものなのかも知れない。
 妖精の道を辿ることに絶望しても、辿らなければいけない人間。
 
――道の幅も長さも決められている人生でも、思いも寄らない歩き方をして。
 妖精が残した道の跡を、人間が築いてきた世界だから。

「END」

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ひとこと

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